■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き11章24〜26節
★彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
■O:今日のコラム
使徒の働き10章と11章は世界宣教における大きな分岐点となった箇所です。なぜなら10章に入る以前弟子達は、ユダヤ人以外には福音を宣べ伝える事をしておらず、福音が異邦人の世界に届くには「ユダヤ教の文化」という大きな壁を越えなければなりませんでした。しかし、主イエスの御心はエルサレムから始まった福音宣教が、ユダヤ、サマリヤ、全世界へと広がって行く事でした。
10章において、ペテロを通してイタリヤ隊の百人隊長コルネリオとその家族が救いを受け、異邦人にも福音が広がり始め、またこの11章においては、イスラエルから国外に散らされた弟子達とパウロ、バルナバによってアンテオケ教会が建てられ、アンテオケ教会を通して爆発的に異邦人の救いが起こり始めたのでした。このアンテオケ教会は異邦人宣教の重要な拠点となる教会でした。
さらに今では当たり前の様に使われている「クリスチャン(キリスト者)」という呼び名も、イエス・キリストを信じる弟子達がアンテオケにおいて初めて呼ばれる様になった呼び名なのです。
この「キリスト者」とは本来「小さなキリスト」という意味があります。つまりキリストに似た者、キリストと同じ性質を持った者、キリストが生きる様に生きる者という意味です。
つまり、クリスチャンとは正確な定義で言うなら、教会に行っている人、キリスト教の教義を知っている人、クリスチャンホームに生まれた人がそのままクリスチャンなのではなく、内にキリストが生きている人を意味する言葉です。味わった事の無い料理を表現する事が出来ないのと同じ様に、主との生きた関係を味わわないではこの世に福音を表す事は出来ません。私達は主ご自身を味わった分だけ、キリストの満ち満ちた愛、赦し、人格、賜物、主のあらゆる御性質をこの世に表す事の出来るキリスト者となるのです。
永遠のいのちについて主イエスは
「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネの福音書17:3)
と言われており、永遠のいのとは、すなわち主を知る事なのです。この「知る」とは知識において知る。という意味では無く、全人格を持ってこのお方を味わう事を意味する言葉です。今日も、御霊により、また御言葉を持って私達は主との親密な関係を味わう事が出来ます。この主イエスとの生きた関係を通して、今の時代の中でますますキリスト者として命と主の光を放って生きる事が出来ます様に。私達は主イエスの生ける証し人なのです。
■A:考えてみよう
今日、私の口から出る言葉、態度、表情からも主イエスの似姿を持ったキリスト者として永遠のいのちを家族に職場に、また遣わされて行く地に表して行く事が出来ます様に。あらゆる時に聖霊様に依り頼み歩みましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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