■S:今日の聖書の言葉
★エレミヤ5章2節
あなたがたは、わたしを恐れないのか。ー主の御告ー
それとも、わたしの前でおののかないのか。
★24節
彼らは心の中でも、こう言わなかった。『さあ、私たちの神、主 を恐れよう。主は大雨を、先の雨と後の雨を、季節にしたがって与え、刈り入れのために定められた数週を私たちのために守ってくださる』と。
★使徒5章3節、4節、9節
「…どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
「…あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
…「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。」…
■O:今日のコラム
「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」(箴言9:10)
今週から、旧約聖書は「エレミヤ書」に入りました。
エレミヤは、バビロン捕囚の直前、ヨシヤ王の時代から、その息子たちの時代、バビロン捕囚が行われた、まさにその時期に、主から遣わされた預言者でした。
イスラエルの民が、神様に対する不信仰、偶像崇拝、不誠実を重ねた結果、北はアッシリヤ王国に、南はバビロン王国に征服されて行きました。
その後半の時代に、南ユダ王国に対する警告と裁き、その裁きの中ですら生き残って繁栄するための具体的な知恵、そして、回復の希望の約束、これらがエレミヤの口を通して預言されました。
一方、使徒の働きの今日の箇所には、教会が建て上げられ成長する中で、主を恐れない、ある夫婦が神様を試みて裁かれる、という有名な事件が書かれています。
両方の話に共通する問題は、「主への恐れの欠如」です。
主を本当に愛する、とは、主への健全な恐れを持つことから始まります。
神様に対する恐れは、自分に危害を加えるものに対する恐怖心とは違います。
もし、神様が自分にひどいことをする、けちな意地悪なことをする。厳しすぎる罰を与える、束縛を与え、喜びや楽しみを奪う方だ、と思って恐れているのなら、それは主への聖い、健全な恐れではありません。
なぜなら、神様は良い方で、優しい方で、良いものを拒まない方で、ずっとそばにいたくなる、素晴らしい方だからです。
神を恐れる、とは、この聖なる素晴らしい罪のない方を傷つけ、悲しませることを恐れることであり、最終的に、神様から離れてしまうことを恐れることです。
「彼らは逆らい、主の聖なる御霊を痛ませた」(イザヤ63:10)
「幾たび彼らは、荒野で神に逆らい、荒れ地で神を悲しませたことか。彼らは繰り返して、神を試み、イスラエルの聖なる方を痛めた。」(詩篇78:40-41)
これらの聖句の中に使われている言葉には、傷つける、痛める、苦しませる、傷つけ悲しませる
痛めつける、肉が裂け血が流れるような生傷をつける、という意味があります。
神様は人の悪によって、傷つけられ、痛められ、苦しめられるのです。悲しまれるのです。
エペソ5:29
「神の聖霊を悲しませてはいけません。」
文脈を読めば、悪い言葉を口から出すこと、無慈悲や憤り、怒り、叫び、そしり、悪意、人に親切にしないこと、赦さないこと、これらが、聖霊を悲しませると読み取ることができます。
また、何より、日々、祈りや礼拝、賛美を通して、主の臨在の中にとどまること、主の御顔を仰ぎ見ることを経験していくなら、御霊の促しによって、「あ、この否定的、批判的な言葉は、聖霊を悲しませている、この怒り、この苛立ち、赦さない心は、主の御霊を痛めている」と気づくようになり、御霊の恵みによって、罪を離れられるようになっていきます。
ローマ8:6
「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です」
神様の心を傷つけた、悲しませた、自分の罪(神様が良い方だと信じない不信仰、主を恐れない罪、神様の聖さを侮り、罪を平気で犯し続ける態度、自分は人より立派だ、と考える高慢、人を罪に定める態度、赦さない心…などなど)を、私たちが自ら認めて、その罪を捨て、向きを変えて、神様の元に帰る時、イエス様の十字架の代価により、私たちの罪は赦され、また主の御臨在の中に入り、主の全き愛の中に、戻ることができます。これが福音、良い知らせです。
残念ながら、エレミヤの時代のイスラエルの民にも、使徒5章のアナニヤとサッピラにも、この主への恐れが欠けていました。
彼らは、「聖なる方」を知りませんでした。
知識としては知っていたのかもしれませんが、神様が生きておられ、御言葉通りの聖なる方であり、私たちがひとりでいるときも、心の中に思うことも、すべてご存知の方で、すべてを正しく裁かれることを忘れてしまっていたのかもしれません。
昔書かれたことは、世の終わりに臨んでいる私たちのための教訓です。
バビロンに捕囚とされるまで、主を侮り続けたイスラエルの民、使徒たちの前で、御霊を欺こうとしたアナニヤとサッピラ、彼らの失敗から学びましょう。
聖なる方を知り、主を恐れることを、求めていきましょう。
■A:考えてみよう
詩篇51篇を朗読し、私たちの心に、聖なる方を知る知識が与えられ、聖い正しい恐れで、主を恐れる者となれるよう、求めていきましょう。
詩篇51:10-12
神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 とも子 】
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