■S:今日の聖書の言葉
2サムエル記18章18節

★アブシャロムは存命中、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから」と考えていたからである。彼はその柱に自分の名をつけていた。それは、アブシャロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。

■O:今日のコラム
アブシャロムが父ダビデに反乱を起こし、アブシャロムの命が絶たれるまでの話しが2サムエル記17章、18章に記されています。アブシャロムの死後、彼が生きている間に自分で立てた記念碑が見つかります。彼がその記念碑を立てたのは「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから」という理由からでした。彼の心の真ん中にあったのは「孤児の霊」でした。
ダビデは素晴らしい礼拝者であり、イスラエルの歴史の中でも最も素晴らしい王の一人です。しかし、子育てにおいては失敗をしました。アブシャロムはいきなり反逆を起こしたのではなく、彼が反逆を起こすまでの数年間、父ダビデの自分に対する無関心に心を痛め続けていたのです。そのアブシャロムの孤独な心に悪魔は反逆のスピリットを吹き入れたのでした。

アブシャロムという名前は「父は平和」あるいは「平和の父」という意味であり、彼は本来、父ダビデとの間に平和を持ち、また彼自身も自分の子ども達にとって平和の父となる事が出来たのです。しかし、父の愛の欠如により、彼の本来のアイデンティティーは歪められて行ったのでした。

私達も「孤児の霊」を内に持つ時、アブシャロムが感じた様に「誰も自分を覚えていてくれない。」「誰も自分を分かってくれない。」と思うようになり、自分が人から理解される為に絶えず人と争う様になります。孤児は自分が生き残るために命をかけて戦いますが、本当の息子は父の使命の為に命をかけて戦います。私達が父なる神の御心を真っ直ぐに行う為には、私達の内にある「孤児の霊」に打ち勝ち、父の本当の息子、相続者としての霊性を持つ必要があります。そして、神の子とされる権利を受け取る道は唯一つ主イエスの十字架にあります。以下の御言葉を朗読し、今日、御言葉を持って孤児の霊を閉め出し、子とされる恵みに与りましょう。

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」(ヨハネの福音書14:18a)

あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。(ローマ8:15〜17)

そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。(ガラテヤ4:6〜7)

■A:考えてみよう
私達が信仰生活を歩む上で「神の子」または「相続者」そして「長子の権を持つ者」としてのアイデンティティーを持つ事は非常に大切な事です。これを持つことはすなわち「キリストの似姿」へと変えられる事です。日々、主イエスの十字架の血潮により古い性質が洗われ、継続的な聖霊の満たしと、御言葉の約束によって、神の子としてのアイデンティティーを確立して行きましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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一つのコメント


  1. 孤児の霊という、タイトルに惹かれてきました。
    私の信仰は感謝なことにダビデに近いところがありますが、私の娘は残念ながら神様への信仰が確立されていません。幼いころは違いました。
    でも、私が娘の大事な時期に愛する人を作ってしまい、とても寂しく辛い思いをさせてしまいました。ダビデの子育ての失敗のところは、とても考えさせられました。私は愛する人と別れてしまいとても辛い時期を過ごしています。私自身が彼に依存していたからです。でも、この辛い時期に神様は娘にもう一度母親として使えるチャンスを与えて下さっています。
    娘が「私には神様と母がいる」と言えるようになるよう祈りつつ、この時を感謝します。

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