■S:今日の聖書の言葉
第2サムエル14章28節
★アブシャロムは二年間エルサレムに住んでいたが、王には一度も会わなかった。
■O: 今日のコラム
今日のデボーション箇所ではダビデの家系の悲劇が記されています。ダビデの長男アムノンが妹タマルを恥ずかしめた事から、タマルの兄アブシャロムにアムノンへの憎しみが生まれます。そしてアブシャロムは、アムノンを殺して、父ダビデをも裏切ります。父に敵対することにより、アブシャロムは最終的に命を失います。
この事はダビデとすべての民の嘆きとなった事が後の章で記されています。
前の章ではダビデ自身も姦淫、殺人の罪を犯しています。しかし、ダビデとアブシャロムの違いは何でしょうか。
ダビデは罪を犯した後、天の父に悔い改めているのです。詩篇51を朗読する時、ダビデは砕かれた心を持ち真の悔い改めをしていることが分かります。
しかし、アブシャロムの心は最後まで神様と父ダビデから遠く離れていたのです。
息子を失った父ダビデの嘆きは、天の父の悲しみと似たものを感じます。天の父は義なるお方です。罪は徹底的に裁き嫌いますが、私たちは天の父にとって愛の対象なのです。
この短い章だけでも人間の苦しみ、怒り、憎しみ、殺し、死という言葉がたくさん出てきます。
「ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。」(ローマ6:12)
私たちは信仰生活の中で様々な状況に置かれます。例え最初は小さな誘惑や怒りや憎しみであっても、このような感情をそのままにしておく事を主は望んでおられません。
「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉のでしょうか欲望を満足させるようなことはありません。」(ガラテヤ5:16)
神様は私たちが肉に従う者ではなく、御霊によって歩む事を望んでおられます。
しかし私たちはこの地で生きている限り罪を犯す弱さがあります。自分の力で聖さを求め罪と戦うなら私たちは絶望します。私たちは自分で自分を聖くする事はできないからです。
唯一罪ある人間を「聖」としてくださるお方、「義」としてくださるお方はイエス・キリストただお一人です。
「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」(エペソ1:4)
天の父の願いは、御子イエス様の十字架の血潮によって私たちが赦され聖くされる事です。私たちに真の悔い改めを求めておられます。
今日もイエス様の十字架の血潮によって、本来創造された神の子供としての道を大胆に歩んでいきましょう。
■:A 考えてみよう
詩篇51はダビデの祈りでもあり、私たち一人一人の祈りです。今日少しでも天の父から心が、生き方が離れているならば、詩篇51の祈りをもって悔い改め、主の元へ帰りましょう。
■:P 祈り
愛するイエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
【 よしあい 】
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