■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第二10章3〜4節
★『アモン人のつかさたちは、彼らの主君ハヌンに言った。「ダビデがあなたのもとに悔やみの使者をよこしたからといって、彼が父君を敬っているとでもお考えですか。この町を調べ、探り、くつがえすために、ダビデはあなたのところに家来をよこしたのではありませんか。」
そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、彼らのひげを半分そり落とし、その衣を半分に切って尻のあたりまでにし、彼らを送り返した。』
■O:今日のコラム
9章で登場するメフィボシェテと、10章のアモンの王ハヌンに共通する事があります。なぜ共通したテーマを隣同士に並べるのか?というと、それを主が強く訴えたいからであると思います。メフィボシェテは、幼い頃に足萎えとなり、人に預けられていました。しかし、元王族であるにも関わらず、そこで蔑まれ、バカにされ、自分に対するイメージは最悪でした。イスラエルの文化では、犬を見下げられる存在として扱っていますが、彼は自分の事を犬どころか『死んだ犬』と表現していました。
これは、私たちにも当てはまります。私たちも王族の子、それも王の王なる方の子として生まれたにも関わらず、虐げられ、偽りを吹き込まれ続けてきました。自分はつまらない存在、役に立たない存在、嫌われている、愛されていないと。嘘です!私たちは、なくてはならない存在です。だから生まれてきました。また、尊い事に用いられる事になっています。だから、イエス様を受け入れてもまだ、地上に置かれているのです。命がけで愛されて、好意を受けるために作られたのです。
アモンの王ハヌンも同じです。ダビデが好意を注ごうと使いをよこしたにも関わらず、彼は、偽りを語る者に耳を傾け、その好意を無にしたばかりか敵対する者となり、滅びる事になりました。
私たちは、何に耳を傾けているでしょうか?御言葉に耳を傾けましょう!信仰は聞くことからです。耳を傾けているうちに、その御言葉に御霊の油が注がれ、その言葉は文字ではなく、生きて働く御言葉(レーマ)となるのです。御霊が与える剣である神の言葉(レーマ)によって私たちの心を刺し貫き、今度はその剣をもって世を変革する勇士となっていくのです。
生活の中で必ず別の語りかけが、自分の心にやってきます。偽りの語りかけが。ハヌンに対して起こった事は、私たちにも起こるのです。一見静かな日常の中に、平和そうに見える家庭や、学校や職場で、偽りが心の中にささやいてきます。どうしたら良いでしょう?その時こそ、御言葉を宣言して剣を抜く時です!そして、この偽りの声に耳を貸してはなりません。エバは、耳を貸して惑わされました。
思い巡らしてはいけません。想像してはなりません。思い巡らすなら御言葉を思い巡らすのです!その時、主の用意している好意、恵みを受け取り祝福されるのです!
このどこにでも起こる当たり前の状況こそ、霊的な戦いの主戦場なのです。私たちは神の国の側に立ちますか?サタンの国の側に立ちますか?この世には、実はこの二つの国しかありません。私たちはどちらでもありませんという事はありえないのです。教会は、ハデスの門に打ち勝つ存在として作られました。これが教会のDNAなのです。だから戦うことは、私たちにとって幸いな事なのです。
神を愛し、神の側に立ち続けましょう!私たちの戦いは、愛と喜びと平安がある戦いなのです。もちろん苦しみと悲しみも伴います。ですが、主にある愛と喜び、希望はそれ以上にあります。どのような邪悪な日に際しても堅く立つ事が出来るように、今、この時から、小さな戦場を勝利していきましょう!御言葉の上に立ち続けるのです。
■A:考えてみよう
惑わし、偽りに耳を貸さず、思い巡らさず、御言葉を口ずさみ(宣言し)、思い巡らす。必ず結果(実)が実る事を信じましょう!
『まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、
水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。』(詩篇1:2〜3)
■P:祈り
御言葉を握り続けさせてください。いつもこの岩の上に立ち続け、あなたと共に歩む者として祝福し、勝利を見させてください。神に敵対する者ではなく、主の側に立つ者であらせてください。主の恵み、好意を見る者、味わう者であらせてください。
【 まじまこ 】
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