■S:今日の聖書の言葉
詩篇144篇2節(ピレモンへの手紙)
★主は私の恵み、私のとりで。
私のやぐら、私を救う方。
私の盾、私の身の避け所。
私の民を私に服させる方。
■O:今日のコラム
気持ちが沈んでいる時、心が渇いている時に詩篇を読むと、いのちが内側に流れ、信仰が引き上げられるのを体験します。詩篇の多くをダビデが歌っていますが、読む者たちのたましいを力づけるその理由は、ダビデが偉大な信仰者だったからではありません。ダビデは悩み苦しむ時、主の前に出て正直に感情を注ぎ出しました。そして、痛みの中でダビデは心砕かれ、悔い改め、主ご自身に信頼を置くことを学んでいきます。そのダビデが通った道、生き様、証しが今日生きる私たちに励ましを与えてくれます。
主がどのように私を救い出して下さったのか、主は私にとってどのようなお方であるのか。詩篇はダビデが主から受けた福音の証しであると言えます。それゆえ、ダビデの詩篇は賛美であると同時に、私たちにいのちを与えるグッドニュースがつまっている書簡なのです。
自分の内側を見る時、どうして自分はいつもこうなんだろう、自分はなんて汚れているのだろうと落ち込む時、主は私の咎を全く洗い去り、私の罪から私をきよめて下さる方であることを知ります。
人から言われた悪い言葉をいつまでも引きずり、だから自分はだめなんだと自分を責める時、主が母の胎のうちで私を形造って下さった神であることを知ります。
悩み、葛藤を抱える時、主は私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださることを知ります。
主がどこにおられるか分からない時、たとい私が天に上っても、そこに主はおられ、私がよみに床を設けても、そこに主がおられることを知ります。
サタンが「お前は孤独だ」とささやく時、神が私の味方であることを知ります。目の前に大きな壁が立ちはだかる時、私の助けは天地を造られた主の御名にあることを知ります。
ダビデの証しがこんなにも私たちにいのちと励ましを与えるのならば、福音の中に生きる私たちも、生き様や証しを通して誰かにいのちを与えることが出来るのではないでしょうか。
福音とは、私が頭で理解している福音を語る以上に、私が主から受け取った福音を、生き様を通して証ししていくものであると信じます。
■A:考えてみよう
今週、主があなたにして下さった恵み、勝利の証し、主がどのようなお方であるかを人々に分かち合いましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひさえ 】
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