■S:今日の聖書の言葉
マルコの福音書12章44節(詩篇131篇)

★『みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」』

■O:今日のコラム
私たちが持てる全てを捧げる事は、主を感動させます。ここで生活費と訳される語はビオス。これは、この地上での暮らしぶりの全てを指しています。ここでもこの語が使われています。

『世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。』(1ヨハネ3:17)

世の富とは、世のビオスと書いてあります。この地上で与えられている全てのものを、神を愛し、隣人を愛するために用いる事は、主を感動させるのです。
これは、自分自身を、神に受け入れられる生きた備えものとして捧げる、霊的な礼拝を捧げる事です(ローマ12:1)そして自分自身を全焼のいけにえとして捧げるなら、私たちは御霊に満たされ、イエス様が御霊によってご自身をお捧げになられたように、私たちは自分の十字架を全うする事ができるのです。

『全ては火によって、塩けを付けられるのです』(マルコ9:49)

とありますが、原語で見ると、全てのいけにえは火によって塩気をつけられる、なのです。自分自身を全焼のいけにえとして捧げる事で私たちは、塩気を付けられるのです。そして、この塩気(御霊に満たされている事)が自分の十字架を全うさせていくのです。義のために迫害される者は…、という語は有名な聖句です。これは自分の十字架を全うしていく事であると信じます。そしてその後には何と書いてあるでしょう?塩気が必要であると書いていないでしょうか?

『義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。
あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。』(マタイ5:10〜13)

世の終わりの聖徒にこれが求められていると感じないでしょうか?肝心なのは、自分を神に受け入れられるきよい生きた備えもの、として捧げる事です。神に受け入れられる備えものとなるためには、日々、十字架を通して神に近づく必要があります。熱心な悔い改めをもって、自分の罪を悔い改め、血潮で洗い流していただくのです。そうしてこそ私たちは、神に受け入れられるいけにえとなる事ができるのです。
そうでないなら、私たちはこの世のぶどう酒(世の楽しみ、遊興、酩酊)に酔っ払うというさばきのぶどう酒に酔って、真理が見えなくなっていくのです。
日々、自分自身を生きたきよい捧げ物として捧げ続けるなら、私たちは、まことのぶどう酒である御霊に酔い、満たされ、私たちの目から梁が取りのけられ、ハッキリ見えるようになっていくのです。覆いが取りのけられて栄光のイエス様を見る事ができるようになっていき、神の似姿に変えられていくのです。悪い目(貧欲、肉欲)が取りのけられ、目が健全になり、栄光のイエス様をもっとハッキリと見る事ができるようになっていくのです。昨日より今日、今日より明日と。神に近づく者に神は必ず報いてくださいます!

■A:考えてみよう
日々熱心な悔い改めをもって、自分自身の全てを捧げる。

■P:祈り
日々、自分自身のすべてを喜んで捧げる事ができるように、悔い改めの霊を注ぎ続けてください。あなたと一つにならせてください。

【 まじまこ 】

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