■S:今日の聖書の言葉
マルコの福音書9章 23節
★するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
■O:今日のコラム
イエス様は「信じる者には、どんなことでもできるのです。」と言われましたが、しかし何故、信仰を持って歩んでいる私達の人生に御言葉の約束が実を持って現れないのでしょうか?それは、御言葉が信仰に結び付けられていないが故です。ヘブル人への手紙にはこう書いてあります。
「福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。」(ヘブル4:2)
御言葉を「知り、理解している」事と、「信じている」事には大きな違いがあります。御言葉は信仰に結び付けられた時にこそ、私達の人生に実として、実体として現れるようになるのです。ではどうすれば、御言葉が私達の信仰に結び付けられるのでしょうか。一つは、口に出して音読し、繰り返し朗読する事によって可能となります。繰り返し、御言葉を口ずさむ内に、御言葉が私達の告白となり、宣言となり、考えとなり、信仰となり、生き方となって行きます。その人は御言葉の実を豊かに見る事となります。
「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇1:2〜3)
また御言葉が私達の信仰と結び付けられる為にもう一つ重要な事は、御言葉を朗読して、その御言葉によって祈る事です。たとえば、今日の短い1節「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」という御言葉を口に出して朗読します。そして、この御言葉により「主よ。私の内にある不信仰を赦し、その不信仰の思いを取り除いて下さい。イエス様。あなたは私の罪を背負い、死をも打ち破った、全能のお方である事を信じます。あなたが私の内に生きておられるので、信じるものにはどんなことでもできる。という約束を信じます。私の目の前にある障壁よ。打ち破られよ。」という風に一節の御言葉からも、悔い改め、主を賛美し、信仰の告白をし、祈る事が出来ます。
御言葉を祈る時に、御言葉に聖霊の息吹が吹き込まれ、書かれたロゴスの言葉から、生きたレーマの言葉となるのです。イエス様も祈りの重要さについて同じマルコの9章でこう言われています。
すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」(マルコの福音書9:29)
日々、御言葉を朗読し、また御言葉を宣言して祈る事を続ける時、必ず驚くべき信仰の力が私達の人生に働く事となります。
■A:考えてみよう
日夜、御言葉を口ずさみ、御言葉を私達の告白とし、祈りとしましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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