■S:今日の聖書の言葉
詩篇122:1-5

★人々が私に、「さあ、主の家に行こう」と言ったとき、私は喜んだ。エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。

■O:今日のコラム
ダビデの時代はもっともイスラエルが栄えた時代でした。
なぜ栄えたのか。5節にはそこには、「さばきの座」があったからだ、とあります。さばきとは、善と悪、正しいこと不正なこと、をしっかりと区別することであります。さばきには公正なさばきが求められます。
ダビデの時代には公正なさばきが行われていたのでしょう。ここで大切なのは、なにが正しくなにが不正なのか、という判断基準が必要になりますね。正しくさばくためには正しい基準が必要なのです。ダビデの人生において何度も、「あなたのさばきを慕います。」「あなたのさばきは正しいからです。」と主に懇願しています。主こそが正しい方、公正な審判者であるとも聖書は言っています。ダビデの家の王座があった時代、まことに正しいさばきがなされていたのでしょう。(さばきについては第二歴代志19章参照)
それなので、3節に「エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。」とあるのです。御言葉が正しくあるところは、「よくまとめられた町!!」と言われるのです。
1節には「人々が私に、『さあ、主の家に行こう』と言ったとき、私は喜んだ。」と、あります。人々が主の家、正しいさばきがある家に行こうよ!!という時は、喜びの時なのです。御言葉がある家はなんと幸いなのでしょう。御言葉を行っている民はなんと幸いな民なのでしょう。
さて、面白いことに4節には「多くの部族、主の部族が上って来る。」とあります。主の部族の脚注をみると、「ヤハ」とあり、ヤハとはもっとも偉大でもっとも高貴な主の名前ですが、あまりにも聖い名前のゆえユダヤ人は主のことをエロヒームとよんでいます。しかしこの御言葉には「ヤハの部族」つまり「偉大な主の名がつけられた部族」が上ってくるとあります。なんということでしょう。「ヤハの部族!!」かっこいいですね。ヤハの部族は主の家に行こう!!と言うのです。
そして、忘れてはいけないことが!!この聖句の続きの御言葉をみていくと6節から始まる言葉には「エルサレムの平和のために祈れ…」とあるこです。5節と6節の間には少しの間があります。
作者は違うエルサレムの事を言っているのでしょうか。そうではなく、先のことを言っているのだと思います。よくまとめられた町であったエルサレムに平和がなくなる時代が来るのだと。

詩篇122:6
エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。

■A:考えてみよう
今私たちは終わりの時代、さばきの時代へと向かっています。真のさばきを成される主がまず主の民、教会をさばかれる時、私たちはどちらの側にたちたいでしょうか。
真のヤハの部族とは、エルサレムの平和のために祈る者です。よくまとめられた町としてもう一度回復するために。祈りましょう。
また新しいエルサレムを喜ぶ者となりましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 アハゴン 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー