■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書1章22節(詩篇120篇)
★人々は、 その教えに驚いた。 それはイエスが、 律法学者たちのようにではなく、 権威ある者のように教えられたからである。
■O:今日のコラム
これと同じ節がマタイによる福音書の山上の垂訓にも出てきます。(マタイ7:28,29)この節はとても心が惹かれます。イエス様が語られた時に人々を驚かせたもの。それは律法学者のような知識の多さではなく、イエス様御自身の語られる中に流れる神の子としての権威、それが人々の心を震わせました。
私たちの祈りの家では日々、エペソ1章17節から23節の御言葉にあるパウロのエペソの教会に対する祈りを、自分たちの祈りとして祈っています。私たちの上に知恵と啓示の御霊が臨むように、と祈ります。それは「神を知るため」でありますが、またそれは神が隠された啓示を見つけるためであり、またサタンの惑わしによって覆いがかけられている真理に対して、私たちの目が開かれるためであります。
サタンは私たちがあらゆる真理に気付かないようにと、騙します。そして、神の啓示を悟ることが出来ないようにと、私たちの目に覆いをかけます。そのことは、皆さんもよくご存知と思います。
サタンが必死になって私たちが気付かないようにしている神の奥義のひとつ、それは私たちが「神の子」である、という真理です。
「はい!知っています!私は神の子です!」即座にこのような返答が聞こえてきます。ハレルヤ!その告白の通りです。
では、神の子としての権威、イエス・キリストの御名の権威を与えられている者とは、どのようなものか、確認したいと思います。
神の子は、神に向かって大胆に「アバ父!お父さん!」と呼びかけることが出来ます。取り繕って「出来る子」を演じたり、出来ない自分を恥じること無く、大胆にお父さんに近づくことが出来ます。なぜなら、「神の子」なろうとする必要はなく、自分はすでに「神の子」である、という真理の上に立っているからです。
神の子として権威が与えられた者は、嵐が来た時に、船の中に(自分の内に)おられるキリスト・イエスのゆえに、平安を失いません。何故なら、イエスの御名の権威によって、嵐をも沈める力を与えられているからです。
神の子として権威が与えられた者は、かしらであって、尾とはなりません。状況や困難が自分のかしらとなって、自分はそれらに引き回される「尾」となるのではなく、状況や困難をも治める「かしら」となることが出来ます。なぜなら、困難の上に自分がかしらとして立ち、自分の前に立ちはだかる困難、難しい状況に対して「イエスの御名によって、海へ移れ」と命じる権威が与えられているからです。
神の子として権威が与えられた者は、イエス・キリストの御名によって悪しき力をしりぞけることが出来るので、サタンにやられっぱなしになりません…etc
これらのリストは果てしなく続くでしょう。
先日、チャーチ・スクールの幼稚科(プレスクール)で教えていた時のこと。何故か「お家に泥棒が入ったら、どうするか」という話になりました(笑)すると、子どもたちは「もし泥棒が来たら『イエス様の御名で去れ!』って言う。」と教えてくれました。最強です。大アーメンです。
この話、微笑ましく聞こえるかも知れませんが、サタンは笑えないだろうと感じました。
神の子としての権威、イエス・キリストの御名の権威を握っている者ほど、サタンにとって恐ろしいものはないのです。
どこに行く時も、何を語る時でも、私たちはこの「神の子としての権威、イエス・キリストの御名の権威」が与えられていることを忘れないのであれば、私たちは王である祭司として、置かれているすべての場所をキリストと共に治める者となることができるでしょう。また自分の内側、自分の心、自分の弱さ(怒りの問題、心配性、赦せない思い…etc)をも治める者となるのです。
そうするならば私たちはいよいよ、すべての領域で「かしら」となることができるでしょう。
イエス様をとらえに、ユダや祭司長のしもべらがやって来た時、イエス様はこういわれました。
「『剣をもとに納めなさい。 剣を取る者はみな剣で滅びます。それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。』」(マタイ26:52a,53)
私たちが神の子として父にお願いすれば、主は御使いの軍団をも使わして下さるのです!ハレルヤ!
この、神の子としての真理の上に立つ者だけが、このようなことを成し得て行くことが出来るのです。
■A:考えてみよう
私は「神の子」としての権威、またイエス・キリストの御名を用いて治める権威を与えられていることを信じているだろうか。私の歩みは「神の子」としての歩みだろうか?私は「かしら」だろうか?「尾」となっていないだろうか?
真理に更に目が開かれるように、エペソ1章17節から23節を自分の祈りとしましょう。
■P:祈り
今、イエス・キリストの御名の権威よって命じる!私を支配しようとする者よ、私の前から去って行け!神の子には、お前は用はない!私が神の子であることを分からなくさせるもの、覆いよ、取り除けられよ。
イエス・キリストの血潮の力により、私はサタンの支配から贖われました!私は神の子であり、神と共に治める者であることを宣言します!私は神の子として、自分の人生に、また人々の人生に天の父の祝福を宣言します。
【 みちる 】
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