■S:今日の聖書の言葉
Iサムエル記25:39
★ダビデはナバルが死んだことを聞いて言った。「私がナバルの手から受けたそしりに報復し、このしもべが悪を行うのを引き止めてくださった主が、ほめたたえられますように。主はナバルの悪を、その頭上に返された。」その後、ダビデは人をやって、アビガイルに自分の妻になるよう申し入れた。
■O:今日のコラム
今日の箇所には4人の登場人物が出てきます。
1人目は、ナバル
2人目は、アビガイル(ナバルの妻)
3人目は、ダビデ
4人目は、主
ナバルは、ダビデの好意を受けたのにもかかわらず、善に代えて悪をダビデに返しました。
ナバルに怒ったダビデは、部下と共に剣を身につけて、ナバルとその群れを滅ぼしにいこうとします。
そこで登場するのが、ナバルの妻、アビガイルです。夫ナバルとダビデとの間に立ち、とりなしました。
また、アビガイルは自分の夫の命を守るためだけでなく、ダビデに罪を犯させませんでした。アビガイルのとりなしゆえに、ナバルの命は守られました。
ですが後に、主ご自身によってナバルは裁かれました。そして、アビガイルはダビデの妻として迎え入れられました。
■A:考えてみよう
私たちは、色々なものの間ばさみになって生きています。
時にダビデのように、良いことをしたのに裏切られ、復讐したい思いでいっぱいの立場にある人もいるかもしれません。また、アビガイルのように、人と人との間ばさみとなり、追いつめられた立場にある人もいるかもしれません。
ですが、どんな状況、立場にあっても、そこで私たちがするべき大切なことは、主の目線を持って、主の御前で『とりなす』ことと『主の主権を認める』ことです。
①とりなす
★「あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。」ヤコブ2:13
イエス様は罪だらけの私を救うために十字架にかかり、十字架にかかられた時から今に至るまで、とりなしてくださっています。ならば、その主の愛と憐れみを受けて、自分の義を十字架につけ、主がとりなしてくださったようにとりなすことが主の愛に応える歩みです。
そしてとりなす者は、アビガイルがダビデに迎え入れられたように、後に花嫁とされます。
私たちは王であり祭司とされています。そして、イエス様の花嫁として召されていることを感謝します。
②主の主権を認める
★「律法を定め、さばきを行う方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。」ヤコブ4:12
ナバルとダビデの間に立ったアビガイルのとりなしにより、ナバルは一時的に命は守られました。しかし、後に主ご自身によって裁かれました。アビガイルが主とナバルとの間に立ったとりなしもしていたら、また何か変わっていたかもしれません。
ですが、ここで私が教えられたことは、主は真実なお方なので、悪を行うもの、悔い改めないものにはその行いに応じて裁きを必ず成される。裁く方はただ一人であり、主に主権があるということです。
★「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」」ローマ12:19
★「主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」」Iペテロ3:12
絶えず主の御前で、私自身が、まず悔い改めなければなりません。
恵みによりイエス様の血潮により義と認められ、そして、そこで初めて、王であり祭司としてのとりなしの勤めをすることができます。そして、後に来られるイエス様の花嫁として迎え入れられることを心から感謝し、その時を切に待ち望みます。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あい 】
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