■S:今日の聖書の言葉
1サムエル記23:2-5(24章)

★そこでダビデは主に伺って言った。「私が行って、このペリシテ人を打つべきでしょうか。」主はダビデに仰せられた。「行け。ペリシテ人を打ち、ケイラを救え。」
しかし、ダビデの部下は彼に言った。「ご覧のとおり、私たちは、ここユダにいてさえ、恐れているのに、ケイラのペリシテ人の陣地に向かって行けるでしょうか。」
ダビデはもう一度、主に伺った。すると主は答えて言われた。「さあ、ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」
ダビデとその部下はケイラに行き、ペリシテ人と戦い、彼らの家畜を連れ去り、ペリシテ人を打って大損害を与えた。こうしてダビデはケイラの住民を救った。

■O:今日のコラム
シャローム!新しい1日を感謝します!

ダビデという人を見るとき、礼拝者、羊飼い、王、仕えるもの、様々な側面を見ることが出来ます。
今日の23:4を見ると、ダビデはもう一度主に伺ったとあり、ダビデが主の心の中、御心のど真ん中を歩みたい、主の「ことば」を自分の歩みの前に置いて、従順していたことの表れではないかと思います。
英語で見ると、inquired ofと使われていて、強く尋ねる、問いただすの意です。
もちろん逆に捉えれば、同じことを繰り返し聞き、長所は短所であり、短所は長所であると言われるのと同じように疑い深いとも取ることが出来ると思いますが、ダビデは主に信頼を置き、主のことばを自分の歩みの前に置いていた、主に従順し、慎重に歩んでいたからこそ同じことを伺ったのではないでしょうか。

先日友人がPASSION CONFERENCE2017とアメリカのアトランタであった何万人もの学生が集まるカンファレンスのシェアをしてくれました。
その中で「私たちは全てを神様に明け渡します、委ねます!と人生の将来的なことは委ねますが、今日、その日その日を明け渡し、委ねることが出来ているか?」と言うことを話していて心に残りました。

わたし自身も「神様の心のど真ん中を歩みたい!」と願っていますし、先のことも委ねているつもりですが、その日その日!ではないように思います。
どのようにして毎日、神の心の中を歩めるのか?

それはただ御言葉によって、聖霊様によって自分の歩む道の前を照らして頂き、ガイドされるしか他ありません。

「詩篇119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」
「マタイ6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」

主の祈りでイエス様ご自身が祈りなさいと言ったことの1つでもあります。
シンプルなことであり、当たり前のこと、単純といえることかもしれませんが、シンプルなことこそ難しいように感じます。
わたし自身がダビデのように強く尋ね求め、みことばによって強められ、祈りの中でその日その日の召し、神様のご計画を知り歩んでいきたいと切に願います。

「マタイ25:21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」

小さいこと、シンプルなことに忠実なものは主が報いてくださいます!
そのシンプルな歩みをする中で、私たちはみことばによってきよめられ、内なる人が強くされていき、栄光から栄光へを、主の完全さへと近づいていくと信じます!

■A:考えてみよう

毎日、毎日ダビデのように主の心をみことば、祈りによって知り、聖霊様に導かれ、その日を明け渡し、その都度主に伺う、みことばに従順する歩みをしていくことが出来ますように!!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【まな】

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