■S:今日の聖書の言葉
1サムエル記22章1〜2節
★ダビデはそこを去って、アドラムのほら穴に避難した。彼の兄弟たちや、彼の父の家のみなの者が、これを聞いて、そのダビデのところに下って来た。また、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。
■O:今日のコラム
サウルに命を狙われたダビデはアドラムのほら穴に避難しました。私は数年前にイスラエルに行った際このアドラムのほら穴に行く機会がありました。このほら穴は、聖書で読み、想像した以上に、暗く、狭く、その入口を入るには、身を低くし、地を這わなければならない様なほら穴でした。
主はダビデが油注ぎを受けた後、イスラエルを導く王として立てられるまでに、徹底してへりくだりを学ばせます。へりくだりは主が最も愛し、重要視しておられる性質の一つです。
いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」(イザヤ書57:15)
「わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。」(イザヤ書66:2 後半)
またイエス様も山上の説教の中で、この様に言われています。
「柔和な者(へりくだった者)は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」(マタイ5:5)
私達が自分に任せられた領域を正しく治める為にへりくだりは重要な資質となります。へりくだりとは別の言葉に言い換えるなら「絶えず主に依り頼む生き方」です。アダムとエバは、いのちの木(イエス・キリストに依り頼む人生)では無く、善悪の知識の木(自分が神となる高ぶり)を選んだが故にエデンを正しく治める事が出来ませんでした。またサウル王も主に依り頼む事をせず、いつも自分の力や判断に基準を置いた為にイスラエルを正しく治める事が出来ませんでした。
「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」(進言16:18)
「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(1ペテロ5:5)
ダビデは、最も暗く、みじめなアドラムのほら穴で生活をしなければならないシーズンにおいても、主をおそれ、絶えず主に依り頼み、主を賛美する礼拝者として歩みました。その結果、後に彼はイスラエルを正しく治める王として立てられ、ダビデが治めた時代にイスラエルは神の好意を受けて黄金期を迎える事となりました。また彼とアドラムのほら穴で時間を過ごした不満のある人々も皆、後に偉大な礼拝者や勇士として成長し、任せられた場を力強く治める様になっていったのです。
今日、私達は自分のアドラムのほら穴(様々な試練や困難な状況)で何を選択しているでしょうか?不満を言う事、失望する事、誰かを訴え批判する事でしょうか?それとも主をおそれ、主を愛し、主を求め、主を礼拝する事でしょうか?この選択は、私達の人生を正しく治めるだけでなく、私達の家族、友、同僚、教会の兄弟姉妹にも影響を与えるものとなります。もし私達の周囲の人々がダビデの勇士の様になって欲しいと願うなら、自らがアドラムのほら穴で礼拝者として生きる事が大切です。共に人生のアドラムのほら穴と言う信仰の学校で、主から合格点をいただく者となろうではありませんか。
■A:考えてみよう
信仰の試練を喜びとし、その中でますます主を愛し、主を求める一年としましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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