■S.今日の聖書の言葉
ルツ2章20節

★「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」

■O.今日のコラム
いよいよ2017年が始まりました。今年も、新しい年が迎えられることを主に感謝しつつ、ルツ記からデボーションを始めたいと願います
ルツ記は、息子を亡くしたナオミとその息子の妻のルツのストーリーです。ナオミとルツは、故郷ベツレヘムへ帰り、歓迎を受けたものの、生活の糧もなく困窮し落ち穂拾いにでかけることとなりました。今日のデボーションの箇所は、ルツが落ち穂拾いを始めた場所は「はからずも」ナオミの亡夫エリメレクの一族であるボアズの畑であったことを知ったナオミが発した一言です。
飢饉に襲われ、故郷から離れ糧を得ようとしたところに息子を二人亡くしたナオミは、「私は満ち足りて出ていきましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミ(喜び)と呼ぶのですか。主は、私を卑しくし、全能者が私をつらいめにあわせられましたのに。(ルツ1章21節)」と願います。その心は、どれほど辛くみじめな気持ちだったことでしょう。
しかし、その後4章で、実際にボアズがエリメレクの土地を買い戻すとともに、エリメレクの名を残すためにルツを自分の妻とし、この家族はやがて主イエス・キリストの系図に名を残すことになります。
全てを失ったかに見えたナオミの人生は決して苦しみの人生ではなく、彼女の人生もまたキリストを信じる一人の人の栄光の人生であったのではないでしょうか。

■A.考えてみよう
イエス・キリストの十字架は私たちを買い戻すためであったと同時に、ボアズもルツの買い戻しのために犠牲を払いました。愛は麗しいですが同時に大きな犠牲が伴うきびしいものであることを感じずにはおれません。その愛が真実であり大きければ大きいほど、その犠牲は大きく、キリストの十字架以上の犠牲はないと信じます。その犠牲を思うとき、たとえ今がナオミの人生のようにマラの様相を呈していたとしても、主の真実には変わりがないことを悟らざるを得ません。神は無意味に今この時期を与えているのではなく、混乱の極みを歩んだナオミとルツの人生を通してご自分の計画を成し遂げられたように、私たち一人も漏れずに主の計画の中にいるものであることを感謝します。

■P.祈り
愛するイエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。

【レナ】

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