■S:今日の聖書の言葉
詩篇119篇105節(黙示録20章)

★あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

■O:今日のコラム
ハッピー・ハヌカ!と言われても、一体何かわからないかと思います。実は、今はクリスマスの原型となったと言われるユダヤのハヌカの祭りの真っ最中なのです。ユダヤ暦5777年、2016年のハヌカの祭りは8日間祝われるので、ちょうど12月25日からはじまり、2017年の1月1日で終ります。
この祭りは主が定められた例祭ではないのですが、この祭りの中に奥義が隠されています。
ハヌカの祭りの起原は、紀元前160年頃、アンティオコス4世によって神殿が汚されました。アンティオコス4世らは神殿を壊しただけでなく、神殿内にゼウス像を持ってきたり、ユダヤ人が忌み嫌う豚の血を神殿の中にぶちまけたりしました。
また、律法の書を読むことを禁じ、さらに安息日を祝うことも禁じました。
それに対して声を上げたのがイェフダ・マカバイというユダヤ人です。彼は汚された神殿を立て直し、宮を清めました。そして、神殿内で使う燭台用の油が無いことに気づき、取り寄せようとしましたが8日間かかってしまいます。しかし油は1日分しかありません。
そこで主に祈ると、なんと1日分しか無いはずの油が8日間絶えることなく燃え続ける奇跡が起こったそうです。それゆえ、ハヌカの祭りは別名宮きよめの祭り、また光の祭りとも言われます。イエス様もこの祭りを祝われたことが次のみことばから分かります。

「そのころ、 エルサレムで、 宮きよめの祭りがあった。時は冬であった。 イエスは、 宮の中で、 ソロモンの廊を歩いておられた。」(ヨハネの福音書10:22-23)

また、ハヌカの祭りは冬至の時期と重なります。冬至は一年で最も夜が長い時間です。これは、これ以上闇(夜)が長くなることがなく、これからは光(昼)の時間が長くなっていく事を啓示しています。
闇は光に打ち勝てません。

「光はやみの中に輝いている。 やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5)

そして、ハヌカの祭りでは、今でもキャンドルに光を灯してお祝いするという習慣があります。それに使う器具をハヌキヤと言います。形はメノラー(燭台)に似ているのですが、メノラーは枝が7本あるのに対して、ハヌキヤは枝が9本あります。(イスラエルに旅行した際は、お土産を買う時にメノラーとハヌキヤを間違えないようにしてくださいね)
9本の枝のあるハヌキヤの中心の枝は他と違っています。これは、「シャマッシュ」と言って、種火、しもべ、仕えるものという意味があります。まずこのシャマッシュに日が灯され、1日目はその隣のキャンドルに、2日目は1日目のキャンドルともう一本のキャンドル…というふうに、火を追うごとに1本ずつ灯す数が増えてき、8日目に全部が灯ります。
このシャマッシュはイエス様を意味しています。しもべであり種火であるイエス様の光が一人ひとりに灯されていき、やがて世界中に光が灯って行くことを啓示しています。

さらに、光は殺菌作用があります。太陽に当てると多くの菌は死滅します。アンティオコス4世(闇の力)によって汚された宮を清めるのは光です。しかし、現代では神殿はもうありません。
イエス様はこのように言われます。

「イエスは彼らに答えて言われた。 「この神殿をこわしてみなさい。 わたしは、 三日でそれを建てよう。 」(ヨハネ2:19)

イエス様は建造物ではなく、ご自身の御身体が神殿だと言われたのです。さらに、みことばにはこのようにも書かれています。

「神の宮と偶像とに、 何の一致があるでしょう。 私たちは生ける神の宮なのです。 神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、 また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(2コリント6:16)

イエス様の十字架の死と復活の後、神の神殿はイエス様の御身体から私たちの身体へと移りました。
この光の祭り、宮きよめの祭りの時期、私たち自信をきよめる必要があります。何によってきよめるのでしょうか。光です。光とはみことばです。

「初めに、 ことばがあった。 ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。この方は、 初めに神とともにおられた。すべてのものは、 この方によって造られた。 造られたもので、 この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。 このいのちは人の光であった。」(ヨハネ1:1-4)

終わりの時代、このことが本当に重要になってきます。マタイの24章で、イエス様は弟子たちが立派な神殿を指差した時、終わりの時代について語り始められます。

「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、 すべての国民にあかしされ、 それから、 終わりの日が来ます。それゆえ、 預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、 聖なる所に立つのを見たならば、 (読者はよく読み取るように。 )」(マタイ24:14-15)

私たちの聖なる所に立っているのは光でしょうか。闇でしょうか。私たちの魂の座に座っているのはイエス様でしょうか。それ以外のものでしょうか。神の宮である私たちの聖なる所に『荒らす憎むべきもの』が立つことが無いよに、私たちはみことばの光できよめ続けられる必要があります。

申命記6章にあるように、このみことばは私たちの心の板に刻まれ、そして額と手に置かれます。
また、今日の通読箇所である黙示録にもこのように書かれています。

「また私は、 多くの座を見た。 彼らはその上にすわった。 そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。 また私は、 イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、 獣やその像を拝まず、 その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。 彼らは生き返って、 キリストとともに、 千年の間王となった。」(黙示録20:4)

みことばが獣の刻印から私たちを守ります。

今日のみことばにあるように「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」来る2017年、皆様の歩みがみことばの光によって義の道へと導かれますように。


■A:考えてみよう

年末年始、みことばの光によって自分自身の内側を照らしていただこう。一日最低でも通読で決められている箇所(2章分)を音読することを決心しましょう。また、それ以上読むこともチャレンジしましょう。通読箇所に加えて、詩篇を5篇分、箴言を1章分、山上の垂訓(マタイ5,6,7章)。
それ以外にも自分で聖書朗読のプランを作り、それを一日のいつ行うかを決めましょう。第一のものを第一とすることにより、2017年が多くの実を結ぶ一年となることを祝福いたします。

「まことに、 その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、 その葉は枯れない。その人は、 何をしても栄える。 」(詩篇1:2-3)

■P:祈り
愛する天のお父さん、私たちにみことばが与えられていることを感謝します。私たちはみことばに飢え渇きます。真理を追求したいという情熱が湧き上がってきます。知恵と啓示の御霊を注ぎ、みことばの真理を悟らせて下さい。みことばを知ることはあなたを知ることです。みことばに口づけします。みことばを何よりも愛します。
私の中にみことばの喜びを爆発さてせ下さい。みことばは私の上あごに蜜よりも甘いです。そして、みことばの光によって私を照らし、きよめ続けて下さい。
愛する花婿なるイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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