■S:今日の聖書の言葉
黙示録13書18節(詩篇115篇)

★ここに知恵がある。 思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。 その数字は人間をさしているからである。 その数字は六百六十六である。

■O:今日のコラム
今日の聖書の箇所は、ある意味とても良く知られている箇所かも知れません。聖書を読んだことがない人でも、「666」という数字は知っているのではないかと思います。
この「666」は、一体何なんでしょうか。誰を指しているのでしょうか。
ゲマトリアと言って、アルファベットと数字の数値転換を使って読むなら、「トラヤヌス、ハドリヤヌス、ヴェスパシアヌス、開闢時代の混沌、ローマ皇帝、皇帝ネロ」等、様々な読み方をされていました。いわゆる獣(悪魔)の数字と言われています。
しかし、私たちは666が誰かを探す以上に、みことばの本質を求めていく必要があります。

【1.獣の数字はどこに刻まれるか】

同じ13章の16節にはこのように書かれています。

「また、 小さい者にも、 大きい者にも、 富んでいる者にも、 貧しい者にも、 自由人にも、 奴隷にも、 すべての人々にその右の手かその額かに、 刻印を受けさせた。」

獣の数字は全ての人、右の手かその額に刻印されるとあります。
では、手と額に刻まれるのは獣の刻印だけなのでしょうか。このみことばを見てみましょう。

「これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、 記章として額の上に置きなさい。」(申命記6:8)

これはシェマー(聞きなさい)の祈りとして知られている箇所で、イエス様も第一の戒めの箇所でこのシェマの箇所を引用されています。
これは、

「聞きなさい。 イスラエル。 【主】は私たちの神。 【主】はただひとりである。心を尽くし、 精神を尽くし、 力を尽くして、 あなたの神、 【主】を愛しなさい。」(申命記6:1-2)

をどのように具体的に実現すればいいかという中の一つです。
神を愛するためには、6節にあるように「私がきょう、 あなたに命じるこれらのことばを、 あなたの心に刻みなさい。」というように、まずみことばを心に刻まなければなりません。心にあるものが溢れて外に現れるからです。
そして、そのみことばを手に結びつけ、額の上に置く必要があります。

つまり、終わりの時代には同じ手と額という部位に神のことばか、獣の数字が刻印されるのです。

【2.獣はどこから来るか】

それでは、この獣はどこからやってくるのでしょうか。黙示録の13章1節にはこのようにあります。

「また私は見た。 海から一匹の獣が上って来た。 これには十本の角と七つの頭とがあった。 その角には十の冠があり、 その頭には神をけがす名があった。」

獣は「海から来る」と書かれています。聖書で「海」とは、多くはこの世の事を表します。
主はモーセを用いて、エジプトという囚われの場所からイスラエルの民を導き出す時に、エジプトの象徴でもある「海」を割られました。
主はヨナは海に放り出された時、大きな魚がヨナを飲み込むようにさせ、そこから救われました。

獣は「この世」からやってきます。この世はいつも神に敵対します。神から目をそらせようとします。神からの愛をわからなくさせようとします。
私たちがあまりにもこの世のものに目を向けるなら、私たちは霊的に盲目となり、神様が見えなくなってしまいます。
終わりの時代の今、私たちは目を覚まして、知恵と啓示の御霊を求めていく必要があります。

「どうか、 私たちの主イエス・キリストの神、 すなわち栄光の父が、 神を知るための知恵と啓示の御霊を、 あなたがたに与えてくださいますように。
また、 あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、 神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、 聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
また、 神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、 あなたがたが知ることができますように」(エペソ1:17-19)

獣とは誰か。正直に言うと、私はそれは誰かわかりません。しかし、自分にそれを適応するなら、獣とは自分自身ではないかと思わされました。私の古い人はいつも神に敵対し、神から引き離そうとします。

「それゆえ、 預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、 聖なる所に立つのを見たならば、 (読者はよく読み取るように。 )」(マタイ24:15)

「彼は一週の間、 多くの者と堅い契約を結び、 半週の間、 いけにえとささげ物とをやめさせる。 荒らす忌むべき者が翼に現れる。 ついに、 定められた絶滅が、 荒らす者の上にふりかかる。 」(ダニエル9:27)

このマタイ24は第三神殿を指すと考えられますが、同時に、私たち自身も指すのではないかと思います。なぜなら、私たちは聖霊の住まう宮(1コリント6:19)と書かれているからです。
この私たちの心、最も聖なる場所、に「荒らす憎むべきもの」が立つことに注意しなければなりません。

私たちの心の王座を自分が占めるか、それともイエス様に明け渡して治めていただくか。これは本当に重要な事です。
そうするなら、小さい者にも、 大きい者にも、 富んでいる者にも、 貧しい者にも、 自由人にも、 奴隷にも、 すべての人々に霊が注がれます。
すなわち、みことばが回復されるところにリバイバルがもたらされます。来るべき大リバイバルに備えてみことばを蓄えていきましょう。

■A:考えてみよう
私たちの手、つまり行いは獣の刻印が刻まれているでしょうか。それとも神様の刻印が刻まれているでしょうか。また、私たちの額、つまり考えは獣の刻印が刻まれているでしょうか。それとも神様の刻印が刻まれているでしょうか。

私たちは毎日、自分自身の行動、考え、心の動機を確認する必要があります。その知恵と思慮はみことばから得ることができます。みことばによってのみ、何が聖く、何が聖で無いかを見分けることが出来ます。

「イスラエルの王、 ダビデの子、 ソロモンの箴言。これは、 知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。
知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。
これは箴言と、 比喩と、知恵のある者のことばと、 そのなぞとを理解するためである。
【主】を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」(箴言1:1-7)

箴言は知恵と思慮を学ぶのに最適な箇所です。
終わりの時代を賢く見分けるためにも、日々の通読箇所に合わせて箴言を毎日朗読し、心と口からみことばが溢れ出てくるようにしましょう。

■P:祈り
愛する天のお父さん、私をこの時代に送ってくださったことを感謝します。世の中ではテロや経済不安など、多くの暗闇が満ちています。しかし、まことの光であるイエス様は私を通してその光をこの地に輝かせてくださることをありがとうございます。
私の中でイエス様の光は輝いています。しかし、私がすりガラスのように曇っているせいで、あなたの光を世に解き放ちきれていません。ですから、みことばによって私にわきまえを与えて下さい。私の心をみことばから来る悔い改めによって、いつも私の目を十字架に向けさせて下さい。
ペテロが水の上を歩く時、イエス様の「来なさい」という言葉を信頼していたときは歩くことが出来ましたが、周りを見て恐れを抱き、あなたのことばから離れてしまった時に沈んでしまいました。
同じように私もただあなたのみことばの上だけを歩ませて下さい。右にも左にもそれず、主の御心の中を歩ませて下さい。
心を尽くし、 精神を尽くし、 力を尽くして、 あなたを愛します。

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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