■S:今日の聖書の言葉
黙示録7章14〜15節 (詩篇109篇)

★そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。」

■O:今日のコラム
黙示録7章は世界宣教における一つの重要なゴール地点です。この時、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が天において御座と小羊イエスの御前に立ちます(9節)。そして全世界の贖われた聖徒達が主の救いの素晴らしさを高らかに褒め歌います(10節を参考)。

主が聖徒達を迎えに来る事に対して、患難前説、患難中説、患難後説、その他にも様々な神学的な釈義があり、議論の的となりますが、私はこのテーマは議論をする事ではなく、希望を抱いて信じるべき事だと思っています。パウロは、主イエスが来るべき日に聖徒達を天に引き上げ、そこで主とお会いするという、このことばをもって互いに慰め(励まし)合いなさい(1テサロニケ4:18)。と言っています。初代教会の聖徒達にとって、主イエスが迎えに来られる事は議論の対象ではなく、希望と慰めを与えるメッセージだったのです。

黙示録7章においては世界宣教の完成の姿、いよいよ贖われた聖徒達が天に引き上げられ、主イエスと顔と顔を合わせて主とお会いする時の情景が啓示されています。ここに重要なヒントが記されています。

「彼らは大きな患難から抜け出てきた者たち」(14節)

、そして

「神が彼らの上に幕屋を張る」(15節)

この事から贖われた者達は大患難の中を通るのではなく、そこから抜けだして主の御もとに行く事が分かります。またこの幕屋とは、秋の仮庵の祭りの中にその啓示が秘められています。イスラエルの祭りは別の言葉で言うなら「神のカレンダー」です。春の「種を入れないパンの祭り」の時に主イエスは聖餐式を弟子達と初めて持ち、また「過ぎ越しの祭り」の時に神の小羊なるイエス様が十字架の上で血を流し罪の贖いを成し遂げられました。
またその後の「初穂の祭り」の時に死者の中から最初に蘇った初穂として主イエスは復活をし、そしてそこから七週を経た「七週の祭り(五旬節)」の時に聖霊が弟子達に注がれました。この様に祭りにしたがって神の計画がこの地に実現して行くのです。

そして、まだ成就していない祭りは、秋の祭り(ラッパの祭り、大贖罪日、仮庵の祭り)です。これは全て終末において実現する祭りなのです。黙示録7章は天の仮庵です。仮庵の祭りは7日間祝われ、8日目が「祭りの終わりの大いなる日」(ヨハネの福音書7:37)にあたります。聖書においては1日を1年とする数え方があります。つまり大患難の年数にあたる7年間、贖われた者達は天の幕屋において主イエスと昼も夜も共に過ごすという事をここから読み取る事が出来ます。

また当時のイスラエルの結婚式においても、花嫁が婚姻に至るまでの7日間、花婿と花嫁が幕屋の中で親密な時間を過ごします。この事からも、この天の幕屋は、主を愛する聖徒達に与えられる最も偉大な報いであり、主イエスとの最も親密な時間をそこで過ごし、そして黙示録19章に啓示されている、小羊の婚姻の時に至るのです。

この偉大な恵みに与ることが出来る為の唯一つだけの条件が聖書に記されています。それは「その衣を小羊の血で洗い、白くする」事です(14節)。日々、小羊イエスの十字架を見上げ、その尊い血潮によって洗われ、終わりの時の備えをしようではありませんか。

■A:考えてみよう
:主イエスの血潮を信仰によって宣言して、今日もこの身に主の聖さを受け取りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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