■S:今日の聖書の言葉
黙示録4章8-11節

★この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」
また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」

■O:今日のコラム
私たちが礼拝するのは、御座に着いておられるお方、ただ一人です。今はこの地上で礼拝を捧げていますが、いつの日か、天において礼拝を捧げる時が「必ず」来ます。

今日の箇所、黙示録4章でヨハネは開かれた天、天の御座の回りでなされている礼拝を見ました。天の礼拝とは、どのようなものでしょうか。
それは「昼も夜も絶え間なく叫び続ける」礼拝です。天の礼拝は、永遠に続きます。なぜなら、礼拝を受けるべきお方は、永遠に生きておられるお方だからです。

私たちは、礼拝を通して主ご自身と出会いたい!と願います。主と出会い、主のご性質、主の愛、聖さに触れるなら、もっと知りたい!もっと味わいたい!と思います。
しかし、主と出会う以上に、永遠に主と共に住まい、主と共に過ごす、その喜びで満ち溢れているのが天の礼拝です。礼拝は「しなければならない」ではなく、もはや「せずにはいられない」礼拝なのです。私もこのままずっと礼拝していたいと感じる時があります。時間を気にせず、ずっと主を礼拝出来るなら、それはどんなに幸せなことでしょうか!

そしてもう一つ、「御前にひれ伏し」「自分の冠を御座の前に投げ出す」礼拝です。あなたが私の主、私の王です、と全ての栄光と誉れを、私たちの主、私たちの王に帰すことです。もし、私たちが誰か、他の人を見たり、自分自身を見ているなら、本当に主を礼拝しているのだろうか、と自分の心を聖霊様によってもう一度探って頂く必要があります。絶えず、心の目を主だけにフォーカスし続けていきましょう。

ヨハネが天の礼拝を見たように、旧約時代、ダビデも、天の礼拝を啓示のうちに受け取りました。ダビデの幕屋では、昼も夜も絶え間ない祈りと礼拝が捧げられ、詩篇には、主の栄光、御名をほめたたえる力強い賛美が多くあります。

「力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。」(詩篇29篇1-2節、10節)

「力ある者の子ら」は、別訳で「神の子ら」と書かれています。神の子たちが聖なる飾り物を着けて主の御前にひれ伏しているのです。私たちは神の子として選ばれました。これは、あらかじめ定めてあったとあります。(エペソ1章5節)
聖書が一貫した書物であり、創世記から黙示録に至るまで、主の変わらない願いがあることを今日も覚えたいと思います。この地上で、神の子としてのアイデンティティを持つ者たちが回復され、全ての栄光と誉れを主に帰する、絶え間ない礼拝が満ち溢れていくことを宣言し、感謝します。

■A:考えてみよう
私たちはどこにいても、主を礼拝することが出来ます。「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。」(詩篇34:8)とあるように、絶えず昼も夜も主の素晴らしさをもっと深く、もっと近く、味わうことが出来ますように。
礼拝を捧げる時、賛美奉仕者だとしても、会衆にいたとしても、「私の主」が「私が主」になっていないか、もう一度自分の心を聖霊様に探って頂きましょう。主だけを見つめ、主だけに礼拝を捧げ、全ての栄光と誉れを、絶えず、このお方に帰することが出来ますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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