■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの手紙第2:7節、9節

★なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。

★だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。


■O:今日のコラム

ヨハネはこの手紙で、行き過ぎた教えから守られて、報いを受けもらさないためにも、選ばれた夫人とその子どもたちに対して、続けて互いに愛し合うこと、また御父の命令に従って歩むこと、そして愛のうちに歩むことを願っています。

私たちは行き過ぎた教えに気をつけなければいけません。自分たちの行き過ぎた考えにも気をつけなければなりません。私たちはキリストの教えにとどまる必要があります。その教えとはもちろん御言葉ですが、その中でも特に山上の垂訓であると信じます。マタイ5章から7章を朗読し続けることが私たちをキリストの教えの中に保つ最初のステップになると信じます。山上の垂訓こそ、神を愛し、人を愛する生き方を示しているからです。

そしてその教えとしてイエス様が私たちに言われたことは、イエス様が愛したように私たちが互いに愛し合うことです(ヨハネ13:34〜35)。これは本当に基準の高いことのように思えます。単に良い人として歩むことではなく、神の愛で愛するということですから、神の愛を受けること無くして、隣人を愛することはできません。私たちから発する愛はなく、神から発する愛を受け続けていくこと、また私たちの内にある神の愛の注ぎを流す必要があります。私は自分が人を愛せないとき、自分自身が神様の愛をまだまだ受けれていない、受けることができていない領域があることを覚えます。

そのとき、悔い改めの祈りをもって主に近づきます。悔い改めていくとき、壁が崩れ、シンプルに神様の愛をさらに体験できるからです。

そして今日の御言葉を読んで思わされたことがありました。それは、イエス様は人としても世に来られたということです。100パーセント神様であると同時に、100パーセント人であるという矛盾が当てはまるのはイエス・キリストただお一人です(ピリピ2:6〜11)。

愛するイエス様は、神としてのあり方を捨てられないとは考えずに、神としても人としても来られました。そして十字架にかかって、よみにくだって、復活し、神の右の座につかれました。天の父なる神と共にいたお方が人としても地に来た、さらによみにくだったこと、この天から地を通りよみにまで至るこの「長さ」こそ神様の愛の「高さ」「深さ」を示していると信じます。それは到底理解することのできないと思えるほどのものです。その愛が私たちに注がれています。圧倒的な勝利者の土台はこの全き愛であると信じます!

■A:考えてみよう
今日も聖霊様を歓迎して、賛美を通して、悔い改めと血潮ととりなしの祈りを通して、御言葉の朗読を通して、神様の愛に圧倒されましょう。そしてその愛をもって隣人を愛していきましょう。実行していくときに、さらに神様の愛を悟ることができると信じます!

■P:祈り
神様、あなたの愛をもっと悟らせてください。そしてその愛をもって隣人を愛せるように、実行する者となることができるように、知恵と助けと力を与えてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【たくみ】

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