■S:今日の聖書の言葉
詩篇96篇13節(ヨハネ18章)
★確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。

■O:今日のコラム
前回イスラエルに行った時、初めて「シャバット(安息日)エレベーター」なるものに乗りました。間違えて乗ってしまったのです。
どのボタンを押してもまったく無視して、ひたすらすべての階に止まってドアが開き、閉じ、上ったり降りたりを繰り返し続けるエレベーター。
これは、ユダヤ人の安息日、に彼らが、「ボタンを押す」という「仕事」をしないでも乗れるためです。そのような超正統派ユダヤ人は、エアコンのリモコンボタンさえ押さない、とも聞きました。
このような極端な律法主義が、イスラエルに何をもたらしているかというと、宗教的な「反動」です。
人間が作った、一部の人にしか守れない戒律的で非現実的なルールへの反動で、多くの人が、律法は人間を縛る悪いものだ、どうぜ守れないものだ、宗教的で形式だけのものだと思い込み、律法をまったく捨ててしまったり、律法を都合よく人間的に変えてしまったり、混乱が起きています。

しかし、神様の御心は、私たちが右にも左にもそれずに、真理の中、命の光の中を歩むことです。完全な律法、自由の律法を一心に見つめて離れないことです。

「確かに、主は来られる。地をさばくために来られる。」

今日の聖句のこの箇所は、主の再臨の時のことを言っています。そして、その「時」のことを、聖書は、「その日」と呼んでいます。
「その日」「主の日」「神の日」「御怒りの大いなる日」…と訳されている「その日」。

この「その日」とは、「われわれの神の復讐の日」(イザヤ61章2節)であり、「全地の表に住むすべての人に臨む」日であり(ルカ21:35)、「主イエスが再臨されて、聖徒たちによって栄光を受け、感嘆の的となる日」であり(2テサロニケ1:10)、「天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしま」う日(2ペテロ3:10-12)です。

旧約にも新約にも、繰り返し繰り返し、この日のことが書かれています。

主の日は、「全能者からの破壊が来る」日であり、「残酷な日」であり、「罪人たちが根絶やしにされる」日であり、「天の万象が光を放たなく」なり、「世の悪が罰せられる」日、「大地が基から揺れ動く」日です。
(イザヤ13章)

確かに、主は来られます。
確かに、さばきの日は来ます。

まだまだ先のことだろうし、自分とは関係ない、ピンと来ない、と無視して、世の流れにそのまま流されて生きるべきではありません。この世の人たちと同じ様に、ネットから流れて来る情報に影響され、時間や気持ちを取られ過ぎている場合ではありません。

しかし、だからと言ってこの世とまったく接点を持たず、隔離されたところで自分の信仰を守るというのも一般的な規準ではないでしょう。

どのように生きることが、本当の意味、本質的な意味で、「いつも油断せず祈って」いることなのでしょう。
「その日がわなのように、突然(自分たちに)臨むことのないように、よく気をつけて」いるとはどういうことでしょう。(ルカ21:34-35)

詩篇91篇4-10

「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。
あなたは、その翼の下に身を避ける。
主の真実は、大盾であり、とりでである。
あなたは夜の恐怖も恐れず、
昼に飛び来る矢も恐れない。
また、暗やみに歩き回る疫病も、
真昼に荒らす滅びをも。

千人が、あなたのかたわらに、
万人が、あなたの右手に倒れても、
それはあなたには、近づかない。
あなたはただ、それを目にし、
悪者への報いを見るだけである。
それはあなたが私の避け所である主を、
いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。
わざわいは、あなたにふりかからず、
えやみも、あなたの天幕に近づかない。」

黙示録3:10-11
「あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。」

ここに、その日に備えるための最善の準備のヒントがあります。

「いと高き方を、住まいとする」
「イエス様の言葉を守る」

神様は心の貧しい、へりくだった者、神様の臨在がなくては生きていけない飢え渇いた人、神様御自身を避けどころとし、住まいとする、その翼の下に身を避けて来る者を、決して見放すこと、見捨てることはありません。
そして、詩篇に約束してある通り、そのような人を、戦争や迫害の中でも、疫病や災害の中でも、守ってくださるのです。

また、フィラデルフィアの教会には、少ししか力がなかった(日本語では、少しばかりの力があった、とありますが、原語を見ると、少ししかなかった、というニュアンスのようです。そして、この力とは、デュナミス。奇跡を行うような大きな力は少ししかなかった)けれども、「わたしのことばを守った、また私の名を否まなかった」(8節)。
そのような彼らに、主は、「わたしのことばを守った(わたしを愛した)あなたを、全世界に来る試練の時には、わたしが守る!」と言って下さったのです。

ヨハネ14:21, 23
「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」
「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」

イエス様の戒めを守る人=イエス様を愛する人。
イエス様という門を通して入って行ける神様の臨在を、何よりも愛して、そこを住まいとする人
そのような人にとっては、「その日」は恐ろしい日ではなく、愛するイエス様と一つとなれる日なのです。

ですから、その日まで、「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」「忍耐深い」主の心が満たされるように、聖霊の力を求めて、福音を伝え、また、福音を信じた人たちが、「いと高き方を住まいとし」「主のことばを守り」「その名を否まない」ほどに主を愛する者に成長できるよう、私たちが今日するべき分を果たしていきましょう。

■A:考えてみよう
私は、いと高き方の隠れ場に住み、主を避け所とし、神を信頼しているだろうか。
私は主の翼の下に身を避け、主の真実を大盾、砦としているだろうか。
いと高き方はわたしの住まいだろうか。
私は主を愛して、主のことばを守っているだろうか。
主の名を認めているだろうか。

■P:祈り
主イエス様。
確かにあなたは来られます。
時は近づいています。
御救いの良い知らせを、国々に告げ知らせることができるように、救われた人々を、キリストの花嫁として整えて行くことができますように、聖霊を注ぎ、力を与えてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン

【 とも子 】

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