■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書17章3節

★その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

■O:今日のコラム
ヨハネの福音書17章は主イエスが十字架に向かう前の天の父に対する祈りであり、ここに重要な啓示が数多く記されています。

主イエスの公生涯の初めから十字架までの歩みにおいて、最初のメッセージがマタイ5章〜7章の山上の説教なら、最後のメッセージがヨハネの福音書13〜17章です。最初と最後には特に重要な啓示が秘められているのです。

この箇所で主イエスは「永遠のいのち」について天の父に祈っています。その永遠のいのちとは、天の父と主イエスを知ることです。この「知る」とはただ知識として認識する事では無く、全ての人格を持って深く親密に関係を持つ事を意味しています。

使徒ヨハネは主イエスが最後の祈りにおいて祈ったこの「永遠のいのち」をどうしても伝えたい事として手紙にこう書き記しました。

「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(1ヨハネ1:3)

ここで使われている「交わり」と言う言葉も、全ての人格をかけて深く親密な関係を持つ事を意味しています。

全ての人類は永遠と言う時間を二つの場所からしか選択出来ません。一つは永遠の死と滅び、もう一つは永遠のいのちと御国です。しかし、良く考えてみて下さい。永遠の死と言っても無になる訳では無く、燃える炎の中で苦しみ、惨めで、嘆くという感覚も感情もあり、永遠の死の中でも永遠に生きているのです。

では死と命の明確な違いとは何を持って定義する事が出来るのでしょうか?それは主と共に居るか。主と離れた場所にいるか。と言う違いです。

永遠の死においては、永遠に主と引き離された場所で時間を過ごし、永遠のいのちにおいては、永遠に主の御側で時間を過ごすのです。

つまり「永遠のいのち」とは主と親密な関係を持ち、主と共に居る事。つまり、主を知る事なのです。

私達は、今すでにイエス様の十字架の贖いと聖霊様を通して、主を知る事が出来る恵み、永遠のいのちの中に入れられている事を感謝します。そして、ますます地上の命の日の限り主との交わりを深め、永遠のいのちの望みの中を歩み続けて行こうではありませんか。

■A:考えてみよう
今日、祈りと御言葉の中で新たに主を知り、主との親密な交わりの中に入りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

カテゴリー: マナメール

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