■S:今日の聖書の言葉
詩篇91篇7〜9節(ヨハネ13章)

★『千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。
あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。
それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。』

■O:今日のコラム
私たちは、安定した歩み、心、生活を求めたいと思うものです。それならば、困った時に主に願い、避けどころとなっていただくだけでは不十分です。主と共に住まう事を求める時です。
安定した生活とは、目の前に困難や問題がやってこないという事ではないのです。この聖句でも、霊的な戦いの中にいて、その最前線に立たされているからこそ、私たちの『かたわら』や『右手』に敵が倒れるのをながめているのです。血潮の宣言で用いている申命記28章にもこうあります。

『主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。』(申命記28:7)

敵は目の前までやってきます。私たちは、自分からはるか遠くで敵が滅んでくれたら良いと感じます。しかし、主は、目前まで敵を引き寄せ、そこで打ち破り、神に対する信頼を学ばせます。私たちの安定した生活というのは、問題がない生活ではないのです。問題があってもそこに勝利がある事を確信している生活なのです。
私たちが、攻撃されて傷ついて、主に助けていただいて、解決を見て、という歩みも良いものです。しかし、それはまるで士師記の時代の生き方です。傷ついて癒されて、というパターンよりも、攻撃がまるで効かない状態に入っていることが理想です。治療より、予防が優れているのと同じです。私たちが主を住まいとするならば、敵の武器は役に立たなくなるのです。
この住まうという語は、(へ)マオーンですが、その類義語に(へ)オナーがあります。オナーとは、婚姻の権利とか、同居という意味です。私たちが、『自分は自分のもの』という生き方から、『私は主の妻』、『私の心も身体も主のもの』という生き方をする時に、主を住まいとするという御言葉が実現するのです。私たちの夫が主であるなる事を認めるでしょうか?『妻は自分のからだに関する権利を持っておらず、それは夫のものです』(1コリ7:4a)とある通りです。
私たちのワンシングはこれです。

『私は一つのことを主に願った。
私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、
その宮で、思いにふける、そのために。』(詩篇27:4)

しかし、主の家に住まう事を求めるとは、祈りの生活をする事(第一の戒め)」と共に、生活の中で主にからだを捧げる事(第二の戒め)でもあるのです。第一の戒めが最優先ですが、第二の戒めも同じように大切なのです。

■A:考えてみよう
自分の全部が主のものである事を認め、肉を手放す事を惜しまない。主を主として生きる。主を夫として生きる。

■P:祈り
心を尽くし、精神を尽くす事に終わらず、力を尽くしてあなたを愛します。私はあなたのものです。私を通してあなたのなさりたい事がなされますように。

【 まじまこ 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー