■S:今日の聖書の言葉
ヨハネ1章1節

★初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

■O:今日のコラム
今日からヨハネの福音書に入ります。
私はこの1章を読んだときに、著者のヨハネはイエス様がどのようなお方であるかを、読者にわかりやすく紹介したかったのだと思います。
ヨハネはイエス様を実際に目で見、会話し、イエス様の生き様を身をもって味わった人です。イエス様の復活も目の当たりにしました。
ヨハネが読者に伝えたかったことは、実はこのイエス様がただの人間ではなく、神であったという事実です。
1章だけでもヨハネはイエス様の姿を様々な角度から紹介しています。

「ことば、神、光、ひとり子(神の子)、神の小羊、ラビ(先生)、イスラエルの王」

どのイエス様の姿も素晴らしいものばかりです。
私たちはどのようなイエス様の姿を知っているでしょうか?
私たちはイエス様の姿を御言葉から悟りますが、それでもイエス様のほんの一部を知っているだけに過ぎません。
イエス様が神であるならば、神を人間の頭の中で把握することは不可能だからです。
それなので、私たちはイエス様を知れば知るほど、その魅力に惹きつけられて行きます。
「もっとこのお方のことを知りたい!もっとイエス様と生きた関係を築いていきたい」という思いになるのです。

ヨハネはこのお方の魅力を沢山知っていました。
あまりにもイエス様が素晴らしいので、この福音書を書くに至り、
世界中の人にイエス様のことを紹介し続けています。

イエス様の最後の命令はなんだったでしょうか?
マルコ16:15
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」

イエス様の願いは福音を全世界の人々に伝えなさいということです。
これは私たちすべてのクリスチャンに委ねられていることです。
福音とは何でしょうか?
福音とはイエスキリストそのものです。

私たちが伝道するとは、イエス様がどういうお方であるかを人々に紹介することです。
もし私たちがイエス様の魅力をほんの少ししか知らないのであれば、人々にその魅力を十分に伝えることはできません。
もし、私たちがイエスキリストに感動を覚えていないのであれば、人々にイエス様の感動を伝えることはできません。

このヨハネのようにイエス様と個人的な関係、生きた関係がなければ本当の意味で福音は伝えることができないのです。
今の時代は2000年前のエルサレムにおいてイエス様が実際に現れ、目で見える状態にあるわけではありません。
ヨハネは実際にイエス様を目で見て、触ったからヨハネは特別だったのでしょうか?あの当時の使徒たちは特別だったのでしょうか?

いいえ、そうではありません。
今の現代に生きる私たちも、2000年前の使徒達以上にイエス様を味わい、体験し、感動することができるのです!
それはどのようにしてでしょうか?

私たちはそれを聖霊様によってすることが出来ます。
イエスキリストを信じるすべての者に聖霊が内に住んでおられます。
聖霊様は私たちの心にイエス様が生きている神であることを証してくださいます。
イエス様を目で見ることは出来ないのですが、信仰によって聖霊様がともに働き、私たちの心にイエス様を啓示してくださいます。

また、聖霊様は御言葉を私たちに啓示してくださいます。
ヨハネ1:1には「ことばは神であった」とあります。
ヨハネが福音書の一番最初に書いたイエス様の姿が「ことば」です。
イエス様を知るということは、神の御言葉を知ることです。これは本当に重要なことです。
頭で理解するのではなく、聖霊様が御言葉を解き明かしてくださいます。
それがレーマです。レーマを受け取るときに、イエス様ご自身を知ることになるのです。
聖霊様に祈りながら御言葉を朗読することは大切なことなのです。
感動がやってきます。神のことばは今も生きていると実感します。
御言葉の中でイエス様と直接出会う体験をすることになります。

また、聖霊様は私たち自身をも、イエス様の性質へと造り変えてくださいます。
ヨハネが伝えているもう一つのイエス様の姿は「神の子」です。
ヨハネ1:12
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」

天の父から見て私たちはイエス様と兄弟のような関係であり、同じ天の父の子どもとされたのです。これはまさに特権なのです。なんと素晴らしいことでしょう。

2コリント3:18
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

とあります。聖霊様の働きは私たちを造り変えます。一人一人がイエス様のようになるのです。
イエス様の愛の性質が内側に形造られていくのです。

私たちが遣わされている場所、職場や家庭、学校、様々な場所に私たちの存在があるなら、
そこにイエス様が運ばれていることになるのです。
どんな環境でも今置かれている場所に意味があります。そこの場所に置かれているのは主の計画なのです。
そこにいる人々はまだ神様のことを知らないかも知れません。
もはや、私たちが知識のレベルで知っているイエス様を伝えるのではなく、
私たち自身がイエス様の性質になることによって、そこの人々は私たちと関わる中で、
イエス様が今も生きている神であることを悟るようになるのです。

■A:考えてみよう
イエス様は私たちにとってどのような関係でしょうか?
この機会にもう一度考えてみましょう。

■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あきひろ 】

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