■S:今日の聖書の言葉

ルカによる福音書23章45節(エレミヤ書32章)

★ 神殿の幕は真っ二つに裂けた。

■O:今日のコラム

この箇所について書くとき、感謝の思いで胸がいっぱいになります。

「神殿の幕が裂けた」という事実に、イエスキリストがなぜ、素晴らしい天国を後にして、この地上に来てくださったのか、その理由が、その目的が、表されているからです。

「垂れ幕」は私たちと神様との間にある仕切りを表しています。

天国に行って来た少年が、このことを、とってもシンプルにこう言っています。

「えっとね、イエスが言ってたけどね、イエスが十字架の上で死んだのはね、そうすれば、ぼくたちがイエスの父さんに会いに行けるからだよ」
(「天国は、ほんとうにある」トッド・バーポ、リン・ヴィンセント共著。青志社。p190より)

キリストが十字架の上で死なれた時に、「神殿」の中にあった聖所(規定に従って神様に礼拝を捧げる場所)と至聖所(神殿の一番奥の部屋=神様と出会う場所)を仕切る「垂れ幕」が上から下まで真っ二つに裂けました。

それは、イエスキリストの十字架を通して、私たちがいつでも、父なる神様の前に行き、神様の麗しい臨在を味わい、神様の御顔を仰ぎ見、神様の御声に耳を傾けることができる、という驚くべき恵みの特権を表しているのです。(詳しい説明を聞きたい方は、ぜひ先輩クリスチャンに質問してみてください!)

(ヘブル10章19-22節)
「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。

イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。

そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」

私たちは、イエス様の愛にとどまり、御言葉にとどまり、イエス様の十字架を通して、日々、聖霊の臨在、力、励ましを受け、父なる神様との親しい関係を通して神様の愛を受けなければ、御国のために何もすることができません。父のために何の実を結ぶこともできません。

(ヨハネ15章4-5節)
「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」

けれども、イエス様の肉体の「垂れ幕」を通して、神様の「至聖所」に信仰をもって入って行くなら、垂れ幕の向こうで、今日も、神様の恵みの臨在の中に入れていただけるのです。

■A:考えてみよう

私は今日、神様の命、力、知恵、神様御自身を必要としているだろうか。

十字架のもとにひざまずき、罪が清められたことを確信して、キリストの肉体の垂れ幕を通って神様に近づこう。

■P:祈り

イエス様、私のために、喜んで十字架に架かってくださって、ありがとうございます。私の道となってくださって、ありがとうございます。あなたを通して、父なる神様に近づくことができることをありがとうございます。今日あなたをもっと知ることができますように。

【 ともこ 】

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