■S:今日の聖書の言葉
士師記11章36〜39節(士師記12章)

★『すると、娘は父に言った。「お父さま。あなたは主に対して口を開かれたのです。お口に出されたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アモン人に復讐なさったのですから。」
そして、父に言った。「このことを私にさせてください。私に二か月のご猶予を下さい。私は山々をさまよい歩き、私が処女であることを私の友だちと泣き悲しみたいのです。」
エフタは、「行きなさい」と言って、娘を二か月の間、出してやったので、彼女は友だちといっしょに行き、山々の上で自分の処女であることを泣き悲しんだ。
二か月の終わりに、娘は父のところに帰って来たので、父は誓った誓願どおりに彼女に行った。彼女はついに男を知らなかった。こうしてイスラエルでは、』


■O:今日のコラム

私たちは、『決して何も誓ってはなりません』とイエス様から命じられています。それでも、『これは、良い事なのです』とイエス様が仰せになり、私たちもそれに習ってしている誓いがあります。聖餐式と洗礼式です。また、結婚式でも誓うと思うので、既婚者はそこでも誓っているでしょう。(私は、誓ってはならない、と言われていたので、これにメチャメチャ抵抗があったのを覚えています)
でも、実は、この3つはどれも似たような誓いなのです。それは、聖餐式はイエス様との結婚の誓約であり、洗礼式は、結婚の歩みに対する誓いだからです。洗礼式は、古い肉の性質を捧げて、神に生きる事をあらわしていますが、ここでエフタが誓った誓いも全焼のいけにえを捧げる事であり、肉を全て捧げる事です。それは水のバプテスマと同じ意味があるのです。
悪に復讐のなされるときがやってきます。それは世に対するさばきの時です。ここでもアモン人に復讐がなされました。その時には、神の民、花嫁なる教会は、礼拝の山で泣き悲しむのです。それは、悔い改め(2コリント7:10では、御心に沿った悲しみが悔い改めを生むとあります)、とりなしを指します。そのシーズンを通って、神に対する結婚の誓いが果たされていくのです。
きよい処女である花嫁が主の元に捧げられるのです。エフタの一人娘も、処女である事を泣き悲しみました。それも友だちとともにです。このことは個人で起こるだけでは済まないのです。教会全体にこの礼拝の山で悔い改め、とりなすという運動が持ち上がるでしょう。きよさのために。捧げられることのために。結婚の誓いが果たされるために。

■A:考えてみよう
熱心に悔い改め、とりなす。

■P:祈り
聖霊様、歓迎します。悔い改めの霊を注いで、深い悔い改め、神の悲しみを教えてください。また、神の御心に沿ってとりなし祈ることができるようにさせてください。傷もシミもない花嫁があなたに捧げられますように。感謝のいけにえを捧げて、あなたへの誓いが果たされますように。私たちの友とともに。

【 まじまこ 】

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