■S:今日の聖書の言葉
第一ペテロ3章9節

★悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのですから。

■O:今日のコラム
第一ペテロ3章はいろいろなトピックについて書かれています。1節では妻たちがどのように生活すべきか、8節では家族、兄弟たち(教会の兄弟姉妹も含め)同士がどのように過ごすべきか、15節では内なる希望について、21節ではバプテスマについての説明がされています。この一章を通してペテロは何を言いたかったのでしょう。この章でペテロは度々「心の中の隠れた人」「うちにある希望」など、「内なる人」について語っています。ペテロは神の教会を完成させるために、外面的でなく、朽ちることのないものを完成させなさいと励ましているのです。
今回あげた9節の「悪をもって悪に報いず…」の後には、どのようにしたら祝福を与えることができるか、の幾つかのキーポイントが書かれてあります。
「舌を押さえて悪を言わず」「くちびるを閉ざして偽りを語らず」と出てきます。どの様にすれば、くちびるを閉ざすことができるのでしょうか、どの様にすれば偽りを語らずに過ごせるのでしょうか。
マタイ15章18節

「しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。」

と言っています。口を守るには心を見張らないといけないのです。しかし、ただ心を見張っているだけでは、良いものも悪いものも入ってきます。私たちは良いものを入れなければなりません。そうです。良いものとは何でしょうか。いのちなるみことばです。
みことばが私たちを生かし、心を突き刺し、正しい良心を与え、正しい道へと導いてくださるのです。
人を祝福するとは、どのようにできることでしょうか、その相手が悪を行ってきたらどうするのでしょうか。侮辱をもってきたらどうすれば祝福で返せるのでしょうか。その相手に本来の姿であるみことばをもって祈り、宣言することができます。それが、舌を押さえて悪をいうどころか、舌をもって祈ることができます。
くちびるを閉ざして偽りを語るどころかくちびるをもってみことばを宣言するのです。その時、相手は祝福を受けることができるのです。私たちは「祝福を受け継ぐために召されたのですから。」とペテロが言う通り、祝福を受け継ぐ民として召されてしまっているのです。このみことばが私たちのものとなりますように。内なる人が完成するとはどういうことでしょうか。
ガラテヤ5章22-23節

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」

ペテロは手紙の中でこのみことばにある御霊の実について具体的にどのようにすれば良いのか励まし語ってくれているのです。

■A:考えてみよう
祝福が私たちの内にあるだろうか。祝福なるみことばがわたしたちの内に満ちているだろうか。

■P:祈り
内なる人が日々造り変えられ、完成していくこと願います。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あはごん 】

カテゴリー: マナメール

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