■S:今日の聖書の言葉
ヨエル書1章5節、8〜9節、13〜14節
★『酔っぱらいよ。目をさまして、泣け。すべてぶどう酒を飲む者よ。泣きわめけ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。』(ヨエル1:5)
★『若い時の夫のために、荒布をまとったおとめのように、泣き悲しめ。穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒は主の宮から断たれ、主に仕える祭司たちは喪に服する。』(ヨエル1:8〜9)
★『祭司たちよ。荒布をまとっていたみ悲しめ。祭壇に仕える者たちよ。泣きわめけ。神に仕える者たちよ。宮に行き、荒布をまとって夜を過ごせ。穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒もあなたがたの神の宮から退けられたからだ。断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、主の宮に集め、主に向かって叫べ。』(ヨエル1:13〜14)
■O:今日のコラム
5節は世のぶどう酒に酔って、まどろんで、眠っている信仰者に対して悔い改めを迫っている様子と言えます。涙を流して、悔い改める事は、霊的な目を覚まさせます。
8〜9節も悔い改めを訴えています。荒布をまとう事は、悔い改めを指します。その者は、失った夫のために泣く乙女のようであり、かつては熱心に主を求めていた信仰者のようです。
13〜14節は、やはり悔い改めを迫られますが、祭司として主に仕える事をしている者に対してです。
つまり、どんな状態にある信仰者も、悔い改めを迫られているのです。15節に『主の日は近い』とあります。主の日を迎えるために全ての者は、涙を流して悔い改めるべきです。
主が来られる備えのためにバプテスマのヨハネが来たのは、悔い改めのバプテスマのためでした。主が来られる時にイザヤ61章が実現するのですが(初臨のときも、イエス様はこの御言葉が実現しました、とおっしゃいました)そこには、こうあります。
『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。』
(イザヤ61:1〜3)
悲しんでいないでどうして慰められるのでしょう?灰をかぶっていなくて(悔い改めを表す)どうして『灰の代わりに』なのでしょう?悲しんでいなくて(御心に沿った悲しみとは、悔い改めを指す)どうして『悲しみの代わりに』なのでしょう?
他の箇所でも、『主は私たちの涙を拭ってくださる』とあります。泣いていなくては、それは実現しないのです。
■A:考えてみよう
今こそ、涙を流して、悔い改める時です。主に感情が触れられ、泣くまで悔い改めましょう!神の御心に沿った(原語では、『神による』)悲しみが深い、熱心な悔い改めを生むのです(2コリント7:11)
■P:祈り
毎日、私の心に触れてください。悔い改めてあなたが来られる備えをさせてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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