■S:今日の聖書の言葉
イザヤ書56章4節〜7節

★まことに主はこう仰せられる。
「わたしの安息日を守り、 わたしの喜ぶ事を選び、 わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、
わたしの家、 わたしの城壁のうちで、 息子、 娘たちにもまさる分け前と名を与え、 絶えることのない永遠の名を与える。
また、主に連なって主に仕え、主の名を愛して、 そのしもべとなった外国人がみな、 安息日を守ってこれを汚さず、 わたしの契約を堅く保つなら、
わたしは彼らを、 わたしの聖なる山に連れて行き、 わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。 彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、 わたしの祭壇の上で受け入れられる。 わたしの家は、 すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。

■O:今日のコラム
今日のタイトルを見て、「神様には条件があるの?神の愛には条件が無いのでは?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。もちろん、神様の愛には条件がありません。父の愛は私たちすべての者に無条件に注がれています。

けれども、私たちは御言葉を読む時に、時として神様が明確な条件を出されていることを見落としがちなのです。

先日あるお店で50%オフになるクーポンをもらいました。「よっしゃ半額!」と浮かれてしまいましたが、そのクーポンをよく読むと、「5,000円以上お買い上げの方は」という条件を見つけました。「これをよく読まずに、嬉しそうに2,000円くらいの商品が1,000円で買えると思ってレジまで持って行ったら、恥ずかしい目にあうところだった…」と苦笑しました。

私はこのイザヤ56章7節が好きです。

「主が、私を聖なる山(主と親密になれる所、個人的な礼拝の場所)に連れて行って下さる。祈りの家で私を楽しませて下さる。私のいけにえは主に受け入れられる。」

思い巡らせば思い巡らすほど、わくわくします。けれども私たちは、ここにあるように簡単には聖なる山、主との親密な時間に入れない葛藤を覚えます。祈りの答えを見ることが出来ません。祈ることすら億劫になります。御言葉に書かれているのに、、、何故でしょう。

聖なる山に連れて行ってもらうため、祈りの家で楽しむために、主からの条件が記されていることに注目してみましょう。
その前の節を見ると

「そのしもべとなった外国人がみな、 安息日を守ってこれを汚さず、 わたしの契約を堅く保つなら」

と、記されています。
私たちが、主を自分の「主」とし、主のしもべとなり、安息日を守って汚さず、主の契約を堅く保つなら、と明確な条件があるのです。

最近、私たちは礼拝の中で「私の主、私の主人はイエス様、あなたです。」と告白し、ひれ伏すことをしています。ですから、私自身も日常の中で、「果たして、主が本当に私の『主』となっておられるだろうか?私は本当に『主のしもべ』だろうか?」と思い巡らすことがあります。
憤りが心を支配する時、私の心の主人はイエス様ではなく、「憤り」となっています。敵対心が沸く時、私を支配し私の主人となっているものは、「敵対心」です。「赦せない思い」が心を苦しめる時、私の心の王座にはイエス様ではなく「赦せない思い」が座しています。

そのように、私の主人が「憤り」となっている時には、私は神様の条件を満たしてはいません。そのような中で、どうして私は主と聖なる山に行き、主から全き平安、喜びを頂くことができるでしょうか。どうして祈りの家で楽しむことが出来るでしょうか。そのような時、私のいけにえは受け入れらないのです。

私たちは『イエス様の血潮を宣言する祈り』の中で、申命記28章1〜13節を読み、宣言します。心が踊る宣言です。けれども、ここにも主は、はっきりと祝福の条件を提示しておられます。

「もし、 あなたが、 あなたの神、主の御声によく聞き従い、 私が、 きょう、 あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら」

(申命記28:1a)

「主の御声を聞き、それを守り行うなら」

これが主からの明確な祝福の条件なのです。はっきりと言うのであれば、主の御声を聞き、それを守り行わないなら、それらの祝福は私たちには及ばないということです。
私はこれを読んでおられる方を狭い律法に押し込めたいと思っているのではありません。むしろ、本当に主が与えたいと願っておられる祝福を、自分も含め聖徒たち皆が余すこと無く受け取れるようになること、それが切なる願いであります。

私たちは聖書を読んでいながらも、もしかしたら、美味しい御言葉にだけ飛びついて、大切な事柄、主から提示されている条件を沢山、見落としているかもしれません。それがサタンの罠です。私たちがこの「主の御声を聞き、守り行う」という大切な祝福の条件を満たすことがないように妨げるのが彼らの働きです。聖霊様がその罠から私たちを守り、私たちの霊の目を開き、真理を理解する力を与えて下さいます。

ですから、御言葉を読む時は、是非、知恵と啓示の御霊(エペソ1:17〜19)を歓迎してから読みましょう。このように、見落としていたかもしれない重要なことがらに対して、霊の目が開かれ、大いなる祝福の鍵をつかみ、実行していくことができますように!

■A:考えてみよう
神様の条件を見落としていただろうか。御言葉を読む前に、知恵を与え啓示を開いて下さる御霊を歓迎しているだろうか。

■P:祈り
聖霊様、あなたを歓迎します。御言葉を読むときにも、あなたの助けが必要です。御言葉を愛します。そこに隠されている神様の大いなる秘密を悟ることが出来ますように、助けてください。「知っている、読んだことがある」という誘惑から、私の思いをお守り下さい。神御自身である御言葉の一つひとつを味わい見つめ、昨日より今日、あなたの素晴らしさをまた一つ知ることが出来ますように。また、あなたが提示されている条件を見出し、それを守り行う力も与えて下さい。祝福のためでなく、ただ主よ、あなたを愛するゆえに、あなたに聞き、従っていきます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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