■S:今日の聖書の言葉
ピリピ人への手紙3章16節(イザヤ52章)
★それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として進むべきです。
■O: 今日のコラム
今日の箇所は、牢獄にいるパウロがピリピの教会へあてた手紙の中に記載されている一節です。
パウロは、
「私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。(ピリピ3:7)」
とかかれているように、牢獄にあっても主との関係が親密であったと思いますが、そんな彼を支援していたピリピの教会には人間同士のもめごとがありました。
牢獄で生きるか死ぬか、日々ギリギリのところに生きていたパウロにとっては、もしかしたら「そんな小さなことで」と呆れる思いもあったかもしれません。
しかし、ピリピの教会には、
「主にあって喜びなさい。(ピリピ3:1)」
や
「キリストの苦しみにあずかる(ピリピ3:11)」
ことを勧めた後に、唐突にも
「それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として進むべきです」
と勧めています。
いろいろ言いたいことはあっただろうに、まずは出来るところから、今ある場所からまずは一歩を踏み出してみよう、そう勧めました。
この一節に、パウロの、またパウロが受け取ったイエス様の心に感動しました。
まず、出来るところから始めて良いと言ってくださる主、最初の小さな一歩すらも認めて、ともに歩んでくださる主、その想いに応えたい、その願いが最初の一歩につながると信じます。
■:A 考えてみよう
毎日生きる中で、弱さを明るみにできないような、背伸びして生きなきゃいけないような、出来ないことや知らないことが許されないような、そんなことを感じることがあります。
また、信仰も横並びでみると、とても今の自分には出来ないなと落ち込むこともあります。
それでも、まずは一歩始めてみよう、できないことがあってもわからないことがあっても、今この瞬間を見つめてていてくださる主に今日も感謝して、今日を過ごせますように。
■:P 祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【れな】
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