■S:今日の聖書の言葉
イザヤ42章22節
★これは、かすめ奪われ、略奪された民のことであって、若い男たちはみな、わなにかかり、獄屋に閉じ込められた。彼らはかすめ奪われたが、助け出す者もなく、奪い取られても、それを返せと言う者もいない。
ガラテヤ5章16節
★私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
■O:今日のコラム
私たちの内では、常に罪なる肉の性質と、御霊に従いたいという願いが戦っています。
肉と霊の戦い。その戦い方の1つは「悔い改め」です。
肉は私たちの内で、いつも自分の陣地を広げようしてきます。
肉はどのように自分の陣地を広げるのか。それは、19節から21節に出てくる「肉の行い」を拠点としてです。
「肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。」
これらの罪を拠点として、肉は私たちの内側の支配地を拡大していきます。
ある人は、こう思うでしょう。「私たちは何故、日々悔い改める必要があるのでしょうか。」と。
悔い改めることによって、肉がこれらの罪を拠点として、体のうちの支配地を拡大するのを阻止することが出来るのです。
ひざまずき、ひれ伏し、罪を告白し、主の御前で悔い改める。そして、「私の主はイエス様です!私を治められるのはイエス様だけです。」と宣言することで、断固として罪の支配を拒絶することが出来ます。
もう1つの戦い方、それは「御霊を喜ばせることを考えること」です。
ローマ8章5節にはこう書かれています。
「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。」
この「御霊に属すること」は、NIV訳では「御霊を喜ばせること」とあります。私たちが、御霊を喜ばせること、御霊の実を実らせることを願い、追い求めるのなら、私たちは肉を喜ばせること以上に、御霊を喜ばせることが出来るのです。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ5:22,23a)
毎日、みことばに自分を照らし合わせ、みことばの基準、主の基準から外れている、自分の内の肉の性質を悔い改めていきましょう。罪の拠点をつぶしていきましょう。
そして、御霊を喜ばせること、御霊の実を実らせることを願い求めていきましょう。
本来の私たちは神の姿に似せて作られました。はじめ、人は神の御性質によく似た良い性質を豊かに内に持っていました。
けれども罪を通して、サタンは私たちの内にあった神の御性質を奪っていきました。イザヤ書の時代には、かすめ奪われたものを「返せ」と叫ぶ者がいませんでした。ですが、主は、サタンに奪われたもの、神の御性質を「返せ!」と日々叫ぶ者を探しておられます。
私たちは無知で無抵抗のままでは、やられっぱなしです。
今日、「返せ!」と抵抗し、悔い改めを通して、私たちの内にある本来の神の御性質を取り返す者となりましょう。
■A:考えてみよう
自分の内の「肉の拠点」は何だろうか?自分はやられっぱなしになっていないだろうか?
今日、今、この瞬間、自分はどのようにして御霊を喜ばせることが出来るだろうか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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