■S:今日の聖書の言葉
★イザヤ38:17
「ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。」
■O:今日のコラム
今日のこの御言葉を読んで、もう一つの御言葉が思い浮かんだ人もいるのではないでしょうか。
★詩篇119:71
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」
なぜ、私たちは生きる中で苦しくなるときがあるのでしょうか。
それは、絶えず『罪と重荷』を持って歩んでいるからです。罪を持っていては主と一つになることができません。なぜ、私たちは生きる中で苦しくなるときがあるのか、主のそばにいることが私たちの幸せだから、主を近くに感じることができない時に苦しいのです。
私たちが苦しみを味わう時、それは御言葉にもあるように、私たちにとって幸いなことなんです。
なぜなら、それを通してますますイエス様の十字架を見上げ、ますますイエス様に信頼し、イエス様を知り、イエス様に近づく時となるからです。
私は、あまりにも自己中心です。いつも自分の苦しみしか見えません。ですが、イエス様は私に同情できない方ではありません。ありのままの私を受け入れてくださる、本当に優しい愛なるお方です。
今日、『イエス様の苦しみ』を知りましょう。イエス様の十字架を見あげましょう。イエス様の苦しみ、イエス様の痛み、イエス様の悲しみを知りましょう。イエス様の苦しみが私の人生の中に何をもたらしたのかを知り、今日も神様の御前に進み行き、悔い改め、感謝を捧げ、イエス様の血潮を受け取っていきましょう。
★イザヤ53:5
「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
■A:考えてみよう
みなさんにお聞きしたいと思います。
“イエス様が共にいない最高な一日”
“イエス様が共におられる最悪な一日”
どちらが幸せでしょうか。
天の父なる神様は、愛する御子、イエス様の十字架の血潮ゆえに、私たちの罪を後ろに投げやり、永遠の命という約束を与えてくださいました。永遠に愛してくださる方がずっと共にいてくださるんです。
私たちのフォーカスは、問題、苦しみ、試練を越えて、その中においてもいつも離れずに共にいてくださるイエス様です。
この地上で、人に羨まれるようなどんなに楽しい日々を送ったとしてもそれはいつか終わりを迎えます。
人の目に見えてどんなに最悪な日に思えたとしても、命をかけて愛してくださる方が、イエス様が共にいてくださることを知っているのであれば、それは何にも代えることのできない、最高に幸いな日です。今日も、私が気づいても気づかなくても、愛するイエス様が私の手を離すことなく、ともに歩んでくださっているという幸いを心から感謝します。
★詩篇73:28
「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。 」
★詩篇23:4
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 」
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あい 】
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