■S:今日の聖書の言葉
2コリント5章 10節

★なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

■O:今日のコラム
この一節は私達の信仰生活と生き方を大きく変えるものです。私達は「恵みの福音」を聞き慣れている為「さばき」という事をあまり真剣に考える事がありません。しかし、その恵みの福音の奥義を語った同じパウロが、それもイエス・キリストを信じる者達に向かって、「私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになる。」と語っている事を真剣に受け止める必要があります。

多くの場合に私達が「さばき」というテーマを嫌う理由は、間違った恐れから来るものです。私達が主の「さばき」の本当の意味を知る時、それは私達に対する希望であり、守りである事を悟るのです。

さばきは神の勝利です。現在シリアや中東諸国で起こっている紛争で多くの子ども達が死にゆく姿を見る時、全世界で数多くの人々が奴隷のように虐げられ苦しめられている姿を見る時、またイスラム圏や迫害の厳しい国々で多くのクリスチャン達が殉教している事を聞く時、私達は「主よ。ただしい正義とさばきをこの地に現して下さい。」と祈ります。

ルカの福音書18章において主イエスが、私達に失望しないで祈る事を教えています。その話しの中で「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。」(ルカ18:7)と言われています。

主のさばきとは、死に命をもたらし、暗闇に光を照らし、汚れに聖さを現し、不正に義をもたらす事です。主のさばきを祈り求める事は、神の勝利と完全な統治を祈る事です。イエス様はご自身が戻って来られる時にこの信仰を見たいと願っておられます。「あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に(この 原文ではここに冠詞が付いている)信仰が見られるでしょうか。」(ルカ18:8)

また、預言者イザヤは主が「さばく方」である事についてこの様に言っています。「まことに、主は私たちをさばく方、主は私たちの立法者、主は私たちの王、この方が私たちを救われる。」(イザヤ33:22)主のさばきは私達の守りであり、救いなのです。

主の御座には「さばきの御座」と「恵みの御座」という二つの性質があります。この二つは大きな矛盾を生み出します。主は絶対に罪を軽く見られません。私達の心の中に秘めた、赦せない思い、妬み、汚れた情欲など・・・。自分では小さな事と思っていても主の御前では全てが明らかであり、主は全ての罪を裁かないでおくことは決してありません。
しかし、それと同時に主はどこまでも私達を愛し、私達を赦し、ご自分の子として受け入れ抱きしめたい。と願っておられる愛に満ちた父です。

この二つの性質の矛盾は、ただ一つの場所でのみ解決を得ます。それは主イエス・キリストの十字架です。十字架の縦の木は、罪なきお方が全てのさばきを背負い、どこまでも義と聖さを全うした。完全な神の御子としての姿。
また十字架の横の木は、「どこまでもあなたを愛し、どこまでもあなたを赦し、受け入れよう。」と私達の為に広げられた、愛とあわれみに満ちた御子の姿。この主イエスの十字架に私達の全ての答えと解決があります。ただ主イエスの十字架を誇りとし、主イエスの十字架を感謝します。

■A:考えてみよう
日々、主イエスの十字架を見上げ、今もなお生きて働き、したたり続ける、主イエスの血潮の聖さを受け取りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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