■S:今日の聖書の言葉
ルカの福音書18章13節

★『ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」』

■O:今日のコラム
このたとえは、パリサイ人と収税人、どちらが義と認められたか?を教えるたとえです。この事を通してイエス様は自分の罪を認めて、悔い改める者が義と認められる事を教えておられます。つまりこのたとえは悔い改めについて教えているのです。
シャローム教会の金曜の夜のシャバットの祈りは、特に悔い改めの祈りを大切にしています。ある意味では、悔い改めとは、内にイエス様が形作られるまでを指していますから、信仰者の根底にあるものと言っても良いものです。シャバットの悔い改めの祈りの中では、多くの者が胸を打ち叩いて悔い改めをしています。私には、シャバットの祈りに来た時、初めこの事に悟りがなかったのですが、ひざまずくと3秒後に私に語りかける声が聞こえました。「あなたも胸を打ちたたきなさい」と。
同時に主によって私に御言葉が開かれました。

『私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。』(1コリント9:27)

ルカ18:13の収税人も胸を打ち叩いて悔い改めています。これは、偶然なのでしょうか?

『打って傷つけるのは悪を洗い落とすため。 腹の底まで打ちたたけ。』(箴言20:30)

この御言葉は、同じ事を教えていないでしょうか?
聖書は、神によって悲しむ = 悔い改め、と教えています。

『神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。』(2コリント7:10)

その主は、こう語っておられます。

『こう言うのです。  「笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。  弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。」』(マタイ11:17)

この悲しむという語には、聖書ではアスタリスク(*)が付いていて、直訳では『胸を打たなかった』なのです。
私たちは毎日の悔い改めの中で、神によって悲しみ、胸を打ちたたき、深い悔い改めに入っていきましょう!

■A:考えてみよう
御言葉の基準と違う自分に、主がどれほど悲しまれたかを受け取り、主と共に悲しむ時を持ちましょう。胸を打ち叩きながら。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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