■S:今日の聖書の言葉

★ルカ5章5-6節「するとシモンが答えて言った。『先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。』そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。」
★ルカ5章8-9節 「これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。』と言った。それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。」

■O:今日のコラム
今日の箇所は、私たちがよく知っている奇跡の一つでもあり、漁師であったペテロたちが人間をとる漁師として召し出される場面です。マタイやマルコの福音書にも彼らが召し出された場面が書かれていますが、その前に起きたこの奇跡については、ルカの福音書にだけ書かれています。
夜通し働いても何一つ魚がとれず、人間的には難しいと思える状況の中で、ペテロがイエス様のことばに従ったとき、大漁の奇跡を見ました。これを見たペテロがすぐにとった行動は、イエス様の足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」という告白です。
「ひれ伏す」という行為は、あなたが私の主です、私の神です、私の王です、その支配と主権を認めます、という象徴であり、それは同時に、私はあなたのしもべです、あなたに従います、ということを意味すると、私達はアテフ先生のセミナーで学びました。ペテロは、イエス様の足もとにひれ伏さずにはいられませんでした。彼は、イエス様が聖なるお方、神であり、救い主であるということを悟ったのです。

イエス様のもとにひれ伏すということは、御言葉にひれ伏すことでもあります。
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネの福音書1章1節)
私たちは、日々の生活の中で、御言葉をどのくらい重んじて朗読し、祈り、宣言しているでしょうか。御言葉であられるお方の前に、ひれ伏しているでしょうか。自分の言葉、思い、心が神様より、御言葉の基準より高くなっていないでしょうか。私も最近、御言葉を朗読し、ひれ伏す礼拝を継続する中で、私の内にまだ隠れていた罪や従えなかった部分が明らかにされ、悔い改め、御言葉と血潮によりきよめられ続ける経験をしています。

私たちの状況や環境、成果がどのようであっても、私たちがイエス様のことばに従い、この御言葉に権威と力があることを認めるならば、ことばであるお方、イエス様ご自身がその主権を持って私たちを導いて下さると信じます。この主権は私たちにあるのではなく、神のもの、神のことばにあります。唯一の主権者、王の王、主の主はただおひとりです。
ペテロが「何もかも捨てて、イエスに従った」とあるように、私たちもそのようにイエス様に従って歩みたいと願うなら、本当にシンプルで重要なことだと思います。日々、自分の肉の力に死に、御言葉であられるお方のもとにひれ伏し、私達の人生の支配と主権をイエス様の御手の中に明け渡し、信頼し続けていきたいと願います。

■A:考えてみよう
・毎日、御言葉を朗読し、ひれ伏し、礼拝を捧げる時間を持っていきましょう。私たちの状況、環境ではなく、御言葉が何と言っているか、御言葉の力、権威に同意して、従うことを選びとっていけるように、聖霊様の助けを受け、祈りましょう。

■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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