■S:今日の聖書の言葉
ヨシュア記1:7-8
★ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。
■O:今日のコラム
今日からヨシュア記の始まりですね。ヨシュア記はモーセが死んだ後、次の後継者ヨシュアが立ち上がり、イスラエルの民を導くという話しから始まっていきます。特に「強くあれ。雄々しくあれ。」ということばが多く語られる箇所ですが、神様はヨシュアになぜ、このように語られていたのでしょうか。約束の地に入るために「強くあれ」と言うのは人間として考えるならばある意味当然と言えるでしょう。はたまた、ヨシュアがあまりにも恐れおののいていたからでしょうか。
それともあの偉大なモーセが死んで悲しみに明け暮れていたからでしょうか。神様が何度もヨシュアに強くありなさい、雄々しくありなさい、と言われたのは、なぜなのでしょう。そう言われた後の7節には、「モーセが命じたすべての律法を守り行え!」と神様は語られているのです。主が何度も語られていることは単に、敵がいるから強く雄々しく戦いなさい。というものではありませんでした。むしろ、主の命令を守ることに強く雄々しくありなさいと言われていたのです。
約束の地に入ることは神様の計画であり、そこに入ることはとっても大切ですが、神様はその本質を大切にしていると伺えます。これを離れて右にも左にもそれてはならない!と言われています。みことばは道であり、真理であり、命なのです。主のことばを離れているのであれば、右にも左にもそれてしまうのです。
約束の地には、敵がいました。その行く先々にも敵はいました。そこに入っていくのは大変なことです。 人間の性質をみていくと、何か得たいというものを得てしまうと、神を忘れ、神の約束をわすれてしまうという傾向があります。主はヨシュアを立てた時、そうはなって欲しくない、むしろ約束の地に入る前に主を愛することの故に命令を守り行うということを学んで欲しかったのではないでしょうか。
道とは、ある意味人生の旅路とも言えるでしょう、私たちが約束の御国を受け継ぐことは、御霊によって受け継いでいますが、私たちの日々の歩みにおいて、神様の命令を守るというのは、主を愛し恐れているからできることではないでしょうか。ヨシュアが主の命令を守ることに雄々しく強くあったように、私たちも約束の地に入るものとして、主のみことばを守ることに立ちたいと思わされます。わたしたちがそうしていくのならば、エリコの戦いにあったように、主の方法で敵を打ち負かすことができるようになるのです。
■A:考えてみよう
今日主のみことば、命令を受けとっているか。主のみことばに敏感であるか。
■P:祈り
天のお父様、イエス様、聖霊様。今日のみことばをありがとうございます。私たちを絶えず立てあげたいと、成長して欲しいと願って下さっていることをありがとうございます。わたしたちも主を愛するが故にみことばを守りたいと願います。強く雄々しくあって、主の命令を守ります。今日語ってください。口から離すことがないように、みことばを実行することができるように聖霊様助けてください。主よありがとうございます。
イエシュアの偉大な御名によってお祈りします。アーメン。
【 あはごん】
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