■S:今日の聖書の言葉
詩篇63篇2節(テサロニケ 第一 3章)
★私は、 あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、 あなたを仰ぎ見ています。
■O:今日のコラム
主は旧約時代、聖所から語りかけられました。
聖所はモーセの幕屋に於いてはテントの中にあり、後の神殿の時代では建物の中にありました。
主の臨在が現れる場所、それが幕屋であり、その中心は聖所です。
ダビデはこの詩篇をどこで歌っているのでしょうか。それは、この詩篇の冒頭に書かれています。
「ダビデの賛歌。 彼がユダの荒野にいたときに」
そうです。荒野のまっただ中、そして、敵に追われている中で歌われた詩篇です。普通に考えれば荒野にいて敵に追われているという状況は、絶望的な状態です。しかし、ダビデはそこを聖所と呼びました。
この詩篇63篇全体は、ダビデの主に対する強烈な飢え渇きの詩篇です。その飢え渇きはダビデのように、荒野で敵に追われた時にやってくることがあります。
みなさんもそうではないでしょうか。仕事で、家庭で、学校で、窮地に追い込まれた時、すがるような思いで「主よ!」と祈った経験はないでしょうか。それが主への飢え渇きです。
私たちがこの地上にいる限り、私たちの前から敵はなかなか完全には消え去りません。イエス様も弟子たちにこのように祈っています。
「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、 悪い者から守ってくださるようにお願いします。」(ヨハネの福音書 17:15)
私たちがどんな状況にあろうとも、私たちは主の御翼の陰で喜び歌うことが出来ます。主の恵みはいのちにもまさるゆえ、このくちびるは、主を賛美し続けます。主を喜ぶことは私たちの力です。
最も絶望的な状況こそが、私たちの聖所になります。ただ主にだけ信頼し、今日一日も救いの達成を目指して歩んでいきましょう。
「たとい、 死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。 」(詩篇23:4a)
■A:考えてみよう
自分には主に対する飢え渇きはあるだろうか。仕事や家庭や学校、人間関係などの問題に押しつぶされそうになっていないだろうか。
もしそうならば、そのところがあなたの聖所です。主はその只中にいて下さいます。目の前にある問題を認識しつつも、見上げ続けるのはただ十字架のみです。
また、そのような状況になくても、「主よ、私に飢え渇きを下さい」と求めていこう。主に対する飢え渇きは、私たちをみことばに導き、また祈りへと進ませます。
毎日の生活を見返して、聖書を読むことができていない、また、祈ることができていないなら、もしかしたら主に対する飢え渇きが足りないのかもしれません。
主の愛は炎のように燃える愛です。命をかけた愛です。そのような主の本当の愛をみことばから悟り、主の愛に応えていくことができますように。
■P:祈り
主よ、ダビデが持っていたような飢え渇きを下さい。主を慕って気を失うほどの強烈な飢え渇き与えて下さい。私は神の子です。であれば、気前の良い天のお父さんは願った以上のものを与えて下さいます。この世のものは入りません。私が欲しいのはただ主よ、あなたです。この命が果てるまで、私は主を求め続けます。
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【しゅん】
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