■S:今日の聖書の言葉
コリント15:31
★兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。
■O:今日のコラム
使徒パウロは、Ⅰコリント15章の中で、「兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。」と言っています。明らかに人生の終わりに迎える生命の死を指して語っているのではないことが分かります。パウロが直面した「死」とは、私たちの肉、罪の性質に死ぬことを語っているのだと思います。偉大な使徒パウロでさえ、毎日が死の連続なのです。
しかし、パウロは「死」の先に用意されているものを良く理解していたのだと思います。今日の1コリント15章3〜4節で
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また聖書に従ってよみがえられたこと…」
と書かれています。パウロがコリントの教会に最も大切なこととして伝えたことが、死、葬り、復活だということが語っています。
Ⅰコリント15:36で「愚かな人だ。あなたの撒く物は、死ななければ、生かされません。」という御言葉もこの原則を語っているのだと思います。
私たちは、日々小さな領域で、古い自分に死ぬことを選び取っていくならば、死と葬りを通して、主の似姿に、栄光によみがえらされること(復活)を体験していけるのです。だから、福音書の中では「自分を捨て、日々自分の十字架を負い、私についてきなさい。」と命じられています。あきらめずに、ピリピ書に書かれているパウロの姿勢に学びたいと思います。
ピリピ3:12〜14
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ、捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えて下さったのです。兄弟たちよ。私は、既に捕えたなどとは考えていません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標目ざして一心に走っているのです。
■A:考えてみよう
毎日、悔い改め、血潮の宣言を続けて行こう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あいこ 】
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