■S:今日の聖書の言葉
詩篇56篇10節(コリント人への手紙第一12章)

★神にあって、私はみことばをほめたたえます。
主にあって、私はみことばをほめたたえます。

■O:今日のコラム
今日の箇所であるコリント人への手紙第一12章では、御霊の賜物について語っています。
御霊の賜物は次の9つに分けられます。知恵のことば、知識のことば、信仰、いやしの賜物、奇跡を行う力、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力。
今日はその「預言の賜物」と「霊を見分ける賜物」に注目したいと思います。

預言の賜物は人々に励ましを与えるものであり、人を建て上げるものであり、神の御体にとって、是非開かれるべき賜物であると信じます。「御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい」(第一コリント14:1)というみことばのゆえなのか、預言の賜物は多くの人が憧れ、自分も欲しい!と多くの人が思う賜物の一つかも知れません。しかし、その中で、国や教会やまた誰か人に向かって語られる預言などは、とても注意が必要です。
第一コリント12章3節の前半、リビングバイブル訳では「ところが、いま接している人たちは、自分は神の御霊から託されたことばを語っている、と主張する人たちです。」とあります。誰でも「御霊から託されたことばを語っている!」と主張して、預言っぽいことをもっともらしく語ることが出来るので、注意が必要です。

大きな世界的な集会で、リーダー達に「皆さん、もうみことばを覚えているだろうから、聖書は持ってこなくても大丈夫です。」と呼びかけられていた、というの聞きました。集会中、みことばが開かれることはほとんどなく、預言の賜物がある(とされている)人々が思い思いに語るのです…

マタイの24章ではイエス様は終わりの時代について次のように警告を与えておられます。「にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。」(マタイ24:24)
敵は巧妙であり、真っ向からキリストを否定するような分かりやすい方法で惑わすことはしません。体の中に侵入して、少しずつ体をむしばむ、がん細胞の様に巧妙に徐々に人々を惑わしていくのです。ですから、イエス様が警告してくださっているように、私たちは容易に惑わされてしまうかも知れない、という危機感を持たなくてはなりません。

そこで、何が必要なのか。一つはここに記されているもう一つの賜物「霊を見分ける賜物」です。「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。」(第一ヨハネ4:1)選民を惑わそうとする力から、教会を守るためには、この霊を見分ける賜物が必要です。是非、この「霊を見分ける賜物」も求めていきましょう。
そして、もう一つ。それは、永遠に立つ(イザヤ40:8)神のことばである、みことばの上に堅く立つことであります。
「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。」(使徒17:11)あらゆる時に、彼らのように熱心にみことばを調べる習慣を身につけたいと願います。

今、自分の信仰を点検してみてください。「異言で祈るのは大好きだけど、みことばを読むのはちょっと…」「私はよく幻を見ます。色々なしるしと不思議を見ると興奮します。え?みことばの裏付け?それは、特にありません…」みことばを後回しにしようとする自分の心、またあらゆる働き、集会などは注意が必要です。

先日、日本に来られたイエス様の血潮の祈りの著者アテフ先生は「長いみことばを読むことで、時間がもったいないと思わないで下さい。」「一つひとつのみことばに誉れを与えながら読んで下さい。」また「みことばへの情熱が冷めているのなら、それはイエス様への情熱も冷めていることですね。」と語っていました。
私たちは、みことばが神御自身であることをよく忘れます。詩篇の作者は「みことばをほめたたえます。」と語っています。主御自身であるみことばを愛し、ほめたたえ、尊び、昼に夜にみことばを思い巡らし、私たちのうちに蓄えるなら、惑わしの霊に対して、私たちの内にあるみことばが気付きを与えてくれます。

自分自身を見ると、みことばの蓄えの乏しさにがっかりしてしまいますが、諦めずに主御自身であるみことばを愛し続け、蓄え続けたいと願います。
そして、何より、みことばは「読む」ものではなく「主との出会い」であり「花婿との語らい」であります。みことばに聞き入りましょう。頭にいれるのではなく、たましいの糧としてみことばを開き、主の御声を聞きましょう。
今日も2章読まないと、という義務感から読むのなら本当にもったいないことです。夫婦生活がうまくいくために、ご飯はとりあえず一緒に食べないといけないから、といって義務感で共に食事をする夫婦の食卓は虚しい時間でしょう。今日、期待をもってみことばを開き、愛する方が引き寄せてくださって、語りかけて下さる声をきいていきましょう。そして、個人的な語りかけを受け取ることが出来るようになったら、もしかしたら、このデボーションガイドも必要無くなるかも知れません。

■A:考えてみよう
自分は、みことばを愛しているだろうか。時間がもったいないと思うだろうか。1日2章でさえ負担だろうか。。。これに当てはまっても、自分を責めないで下さい。それならば、まず熱心に主にみことばへの飢え乾きを求めましょう。主は飢え乾きすらも与えて下さる良いお方です!


■P:祈り

主よ、あなた御自身であるみことばを愛します。もっと愛することが出来ますよう、みことばへの飢え乾きを私の内に増し加えて下さい。あらゆる惑わし、あらゆる揺り動かしの中でも堅く立ち続けることができるよう、大水にも押し流されることがないように、信仰の破線に合うことがないように、みことばに土台を据えることを教えて下さい。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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