■S:今日の聖書の言葉
詩篇51:17
★「 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。 」
■O:今日のコラム
この詩篇の51篇は悔い改めの詩篇と呼ばれる聖書でも有名な場所です。
日々悔い改めを続ける中で、私たちの心は砕かれた、悔いた心となっていきます。この砕かれた心こそ主が受け入れてくださる礼拝者の心です。
ではこの砕かれた心とは具体的にはどのような心のことでしょうか?
(詩篇119:20)
「私のたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。」
砕かれた心、それはいつも主のさばきを慕い求めている心です。
主の正しいさばきが自分になされることを求めることが砕かれた心です。
(イザヤ57:15)
「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」
また、砕かれた心の人になると主が共に住んでくださいます。
そして砕かれた心の者とは同時にへりくだった人のことです。
(イザヤ66:2)
「これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。──主の御告げ──わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。」
主のことばにおののき、へりくだり心砕かれたものに主は目を留められます。
(第一サムエル16:7)
「しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
預言者サムエルが長男エリアブを見たときその容姿、うわべを見て判断をしました。
ですが、主はうわべではなく心を見ると仰せられました。
私たちはうわべを気にしてしまう弱さがあります。
人がどう思うか、自分がどう思うかではなく、主がどう思われるかということを考えるようにしていきましょう。
(申命記6:5)
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
主を愛するための最初のステップ、それは心を尽くすことです。
主に深く愛されていることを心から知るときに私たちの心を主に捧げることができるようになります。
今日、主の深い愛を受け取りましょう。
■A:考えてみよう
どんな状況、環境においても、主に心を向けていきましょう。
人がもし主に心を向けるならおおいは必ず取り除かれます。
自分たちの知恵、悟り、能力、権力によらず、絶えず心を尽くして主に拠り頼んでいきましょう。
(箴言3:5)
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 れい 】
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