■S:今日の聖書の言葉
ローマ書11章25〜27節(申命記27章)
★『兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。 「救う者がシオンから出て、 ヤコブから不敬虔を取り払う。 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。 それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」』
■O:今日のコラム
異邦人の完成によってイスラエルに救いのときがやってくる、という事をこのイザヤ書を引用しています。『救う者がシオンから出て』とありますがこのシオンの山は、物理的なイスラエルの山ではなく、霊的なものであり、それは異邦人の中にある事がわかります。
このシオンの山は礼拝の山であり、ダビデの幕屋がある場所であり、祈りの家だからです。マタイの福音書など、ユダヤ人に向けたと言われる書簡には、『私の家は祈りの家と呼ばれる』とあるのに、異邦人に向けたと言われるルカの福音書には、『私の家は祈りの家と呼ばれなければならない』と記されている事からも、この祈りの家という終わりの時代の神の家の姿は、異邦人の召しである事が分かります。
私たちは教会が 祈りの家となる事を求め、自分自身が祈りの家となる事を求めましょう!
また、ここで引用されたイザヤ書の箇所を見るとさらにその祈りの家の姿が見えてきます。
『そこでは真理は失われ、
悪から離れる者も、そのとりこになる。
主はこれを見て、公義のないのに心を痛められた。主は人のいないのを見、
とりなす者のいないのに驚かれた。
そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、
ご自分の義を、ご自分のささえとされた。
主は義をよろいのように着、
救いのかぶとを頭にかぶり、
復讐の衣を身にまとい、
ねたみを外套として身をおおわれた。主は彼らのしうちに応じて報い、
その仇には憤りを報い、その敵には報復をし、
島々にも報復をする。そうして、西のほうでは、主の御名が、
日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。
主は激しい流れのように来られ、
その中で主の息が吹きまくっている。「しかし、シオンには贖い主として来る。
ヤコブの中の
そむきの罪を悔い改める者のところに来る。」
――主の御告げ――
「これは、彼らと結ぶわたしの契約である」と
主は仰せられる。
「あなたの上にあるわたしの霊、
わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、
あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、
すえのすえの口からも、
今よりとこしえに離れない」と主は仰せられる。』
(イザヤ59:15〜21)
ここから、この祈りの家の幾つかの特徴が分かります。
1、 とりなす働きをしている
2、 神の武具を身につけている(そして、戦っている)
3、 日の上るほう(日本)でで、そうして主の栄光が現されている。
天の法廷でとりなす事は、最後に主の正しい裁きが現されるために重要な事です。主はルカの18章で祈り続ける事を教えるために、裁きを求め訴え続けるやもめのたとえを話されました。このやもめは教会の事です。そして、私が来るときに地上で、THE信仰、この信仰が見られるだろうか?と言われました。それはあきらめないで正しい裁きを求め続ける信仰です。地上で正しい裁きを求める祈りに応えて、裁き主なる主の、正しい裁きが地上にやってきます。
天の法廷でとりなす、という事がシャローム教会でしばしば語られています。この習慣を身につけましょう。これを始めるとますます、的確に天の法廷に訴えるスキルが身についてきます。
神の武具を身につけることも、実はとりなしという戦いに挑むためのものです。6つの武具を身につけた後に7つ目の御霊によって祈る、という武具が使え、すべての聖徒のために忍耐して祈る事が出来るのです。
忍耐してとりなす事に関して、ヘブル書も天の法廷の絵を表しています。
『こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。』(ヘブル12:1)
日本の聖徒にこの召しがあります。
■A:考えてみよう
天の法廷で祈る戦いを身につけよう
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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