■S:今日の聖書の言葉
ローマ3:24
★ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスの信仰による贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
■O:今日のコラム
律法には、目的がありました。律法によって私たちは何が罪なのかを知ることができます。
ローマ7:7
「それでは、どういうことになりますか?律法は罪なのでしょうか?絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言われなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。」
ローマ3:20
「……律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。」
律法は聖なるもの、戒めも良いものです。律法、戒めによって罪が生き、それは私たちを死に導きます。(ローマ7:9,12)律法によって私たちは死に導かれて行くのです。しかし、死を通してこそ栄光に蘇るのです。
私たちは自分の行いによっては決して義と認められることはできません。では、どのように義と認められることができるのでしょう?肉のために無力な私たちのために神様が救いの道、生きる道を与えて下さいました。それが、今日取り上げた聖書箇所が答えになると思います。「ただ、神の恵みより、キリスト・イエスの贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」
ローマ3:22にもありますが、「イエス・キリストを信じる信仰による神の義」なので、私たちはいつでもこの信仰に立つことが大切だと思いました。血潮の宣言の7番目にも出てきます。イエス・キリストを信じる神の義を毎日宣言して行きましょう。
黙示録12:11
「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼は死に至るまでいのちを惜しまなかった。」
■A:考えてみよう
日々、血潮の宣言を繰り返し繰り返し、自分の口に告白させよう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あいこ 】
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