■S:今日の聖書の言葉
マルコの福音書10章43〜45節
★「しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
■O:今日のコラム
この地においては時に理不尽な扱いや対応を受ける事があります。職場や教会、家庭においても人々から理解されない事や、一生懸命仕えても評価されない事もあるのでしょう。しかしその時こそ、実は神の国においては私達が昇進する時なのです。
しもべの道へ進む事は、一見自分が損をし、遠回りをしているかの様に感じるかもしれません。しかし、その中で、自分自身の夢を成し遂げるレベルから、主の計画と目的に従う人生へと主が私達を引き上げて下さるのです。
創世記の中でヨセフは家族が自分に仕える夢を見ました。しかし、その夢が神の計画へと練られる為に、ヨセフは奴隷の家と牢獄で自らが仕える者として歩まなければなりませんでした。ヨセフが被害者意識や、自分の痛みや傷を信仰により乗り越え、任された領域において仕える者として治める様になった時、主はヨセフをエジプト全土と当時の世界を、神の知恵を持って治める者とされました。
今日、主の約束を覚えて置かれた地で、喜んで仕える者となりましょう。しもべの道に歩む事を私達の肉は嫌がるでしょう。しかし、十字架を見上げ、十字架を負い、主イエスが歩まれた道を私達も進み行こうではありませんか。
「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」(1ペテロ2:19〜21)
■A:考えてみよう
日々、仕える者として十字架を負い、主の足跡に従い歩む事が出来ます様に。聖霊様の助けを求めます。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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