■S:今日の聖書の言葉
詩篇13:5〜6
★私はあなたの恵みに依り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえに。
■O:今日のコラム
恵みとは、「受ける価値のない者に注がれる神様の好意」です。受ける価値のない者、それが私たちであることを覚えます。だから、私たちにはイエス・キリストの血潮を受け取ることが必要です。恵みという言葉は、新約聖書に148回出てきます。1ペテロ5:10には、「あらゆる恵みに満ちた神」と記されていて、神様が恵みに満ちた方であることが分かります。
今、私たちの教会で「血潮の宣言」に取り組んでいますが、日々これを行うことで、神様がして下ったことに対する感謝が心の中に湧き上がってきます。今日の聖書箇所で、作者は「主が私を豊かにあしらわれたがゆえに」と言っていますが、主イエス・キリストの血潮を宣言し、受け取る時に、恵みが、日ごとに増し加わっていくのを感じます。義も自分の義ではなく、ただ神の恵みによるのだと思うと感謝、喜びが湧き上がってきます。そして、その恵みに依り頼む信仰が湧き上がってきます。
「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪が増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」(ローマ5:20〜21)
また、からだの各部分に主の血潮を宣言していきますが、私たちのからだが贖われていく恵みを覚えます。パウロも「そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち私たちのからだが贖われることを待ち望んでいます。」(ローマ8:23)と語っていますが、血潮を宣言し、御ことばを宣言する時に、私たちのからだが贖われ、神のみことばが実現し、神様の似姿に変えられて行くと信じます。
神様が与えて下さっている恵みをイエスのキリストの血潮を通して、今日も感謝して受け取って行きましょう。
■A:考えてみよう
◯神様が与えて下さっている恵みをイエスのキリストの血潮を通して、今日も感謝して受け取って行きましょう。
◯時が良くても悪くても、みことばの種を自分自身に、家族に、神の家族に、環境に、蒔いていこう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あいこ 】
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