■S:今日の聖書の言葉
詩篇22篇25節(詩篇21篇)

★大会衆の中での私の賛美はあなたから出たものです。私は主を恐れる人々の前で私の誓いを果たします。

■O:今日のコラム
詩篇は聖書の中で、子どもの頃から一番好きな書簡でした。

創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記は、モーセ五書と言われると同時に、主から私たち神の民への書簡とも言えます。

このモーセ五書が神様から人へのメッセージとするなら、詩篇は人から神様への応答です。

私たちを愛し、私たちに命さえも惜しまずに与えてくださった方の心を喜ばすことのできるもの、それは私たちの心からの礼拝であり、私たちの詩篇、また賛美です。

ある聖書の訳では、「主への賛美はあなたのゆえに湧き上がります。」というものがあります。つまり、『主の素晴らしさのゆえに、私の内に賛美が湧き上がります』という意味です。

主の素晴らしさを、また、主がどれほどに恵みを与えて下さったのかを思い巡らすなら、黙っていろと言われても、主の素晴らしさのゆえに、主の愛の大きさゆえに、豊かな恵みのゆえに賛美が溢れてくるでしょう。

主への賛美を捧げることを賛美奉仕者だけのものにしたら、本当に勿体ないことです。

天に積むことのできる宝の1つである、私たちの賛美のいけにえを、どうぞ他の誰かのものだけにしないで下さい。

主は、私たち一人ひとりが、主の恵みと愛に感動して、主の御名を褒め称える賛美のいけにえを喜んで下さいます。

賛美は聞く側になるより、自ら捧げる側になる方が幸いであると信じます。

日曜日の礼拝の時間に限らず、いつでも主を讃えることを習慣としましょう。メロディがなくても、ただ一言「主よ、あなたはいつも良いお方です!」と告白するだけでも、主への賛美となるでしょう。

礼拝では、私たちは主を見つめて賛美を捧げます。ワーシップ・リーダーや誰か、前で歌っている人の顔を見るのではなく、是非主だけを見上げて、主の素晴らしさを見つめて賛美をささげましょう。

今日も私たちの口に主への賛美が満ち溢れますように!

「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」(ヘブル13:15)

「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。」(詩篇34:1)

「私の心はすばらしいことばでわき立っている。私は王に私の作ったものを語ろう。私の舌は巧みな書記の筆。」(詩篇45:1)

■A:考えてみよう
私は1日の内に、どれくらい主をほめたたえているだろうか?
礼拝で、私は力の限り賛美を捧げているだろうか?その特権を、誰か他の人のものにしてしまっていないだろうか?

■P:祈り
私の心と唇にイエス様の血潮の力を宣言します。
私の心はいつもあなたの素晴らしさで沸き立っています。
私の口にはいつも主への賛美があり、私はあらゆる時に主をほめたたえます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

カテゴリー: マナメール

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一つのコメント


  1. 鷺谷義和 より:

    アーメン!今日も一日のはじめにマナメールを通して恵みを受けました。感謝します!

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