■S:今日の聖書の言葉
詩篇7篇9節後半(詩篇8篇)

★正しい神は、 心と思いを調べられます。

■O:今日のコラム
聖書の中には今日のみことばのような表現がよく出てきます。すなわち「心」と「思い」を調べられるということです。
それでは、聖書が言う「心」と「思い」とは何でしょうか。この両者の違いを明確にしておく必要があります。そうするならば、聖書の言うことをより正確に理解することが出来ます。

・心
私たち日本人は「心」というと感情、フィーリングなどをそうそうする事が多いのではないでしょうか。聖書では「心」とはレーブという言葉で使われています。これは英語で言うHeart(ハート)に近い表現です。すなわち、実際の心臓のことであり、また心とも訳されるものです。
聖書の中で繰り返し使われる「心」という表現は情緒的なものではなく、むしろ理解力という意味で使われています。

「 アブラハムはひれ伏し、 そして笑ったが、 心の中で言った。 「百歳の者に子どもが生まれようか。 サラにしても、 九十歳の女が子を産むことができようか。 」 (創世記 17:17)

これは単にアブラハムは心のなかで思っただけでなく、理性的に考えた結果、「そんなことはありえない」という結果を悟ったと言う意味があります。

その他、このレーブ(心)は、意志、決定、計画、意図、決断、良心、と言う意味があります。そう考えると、聖書で出てくる「心」という表現は情緒的なものではなく、自らの知性から出た意志と言う意味合いが強いということがわかります。

・思い
心と思いの違いを説明するのは難しい場合があります。しかし、聖書は明確にこのふたつを分けて書いています。「思い」とは聖書で「キルヤー」と書かれています。実は、この「キルヤー」が私たち日本人に馴染みのある「心」に近い表現になっています。すなわち、情緒的な領域を指すのが「キルヤー(思い)」という言葉なのです。

この「キルヤー」という言葉を調べてみると、面白いことに「思い」と言う言葉と同時に「腎臓」と言う意味もあります。この「腎臓」が多く使われているのは先日まで読み進めていたレビ記、申命記に多く出てきます。そうです。いけにえを捧げるときによく出てきます。

「二つの腎臓と、 それについていて腰のあたりにある脂肪、 さらに腎臓といっしょに取り除いた肝臓の上の小葉とをささげなさい。」(レビ3:4)

ユダヤ人はこの腎臓(キルヤー)は、最も深い感情が宿る場所として考えています。旧約聖書でいけにえは、人の罪の代価として捧げられることを学んだと思います。すなわちいけにえの頭に手を置くと自分の罪・咎がいけにえに移り、そのいけにえを自らさばき、そして腎臓を含む様々な部位を焼きつくすいけにえとして祭壇で捧げます。

この事は私たちの思い、感情を主にささげると言う意味もあります。

この事を理解した上で次のみことばを読むなら、今までよりも少し明確にわかってくることがあるのではないかと思います。

「そこで、 イエスは彼に言われた。 「『心を尽くし、 思いを尽くし、 知力を尽くして、 あなたの神である主を愛せよ。 』」(マタイ22:37)

イエス様は「心(レーブ・つまり意志)を尽くし、思い(キルヤー・つまり情緒的な感情)を尽くし、知力をつくして主を愛せよ」と言われています。

また、キルヤー(思い)はつぎのみことばにもつながります。

「わたしを信じる者は、 聖書が言っているとおりに、 その人の心の奥底から、 生ける水の川が流れ出るようになる。 」 これは、 イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。」(ヨハネ7:38-39a)

心の奥底とは、直訳では「腹から」と書かれています。この部分こそがきよめられなければなりません。なぜなら、私たちの全てはここから出てくるからです。そこは聖霊様の住まわれるところです。それを聖霊様以外の偶像で埋めてはいけません。

■A:考えてみよう
「心」と「思い」をきよめるにはどのようにすればいいだろうか。
それはみことばと血潮です。

「神のことばは生きていて、 力があり、 両刃の剣よりも鋭く、 たましいと霊、 関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、 心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル4:12)

みことばを読む時、ただ単に読むのではなく、知恵と啓示の御霊を熱心に求めながら読む必要があります。そうするなら、私たちのレーブとキルヤーにみことばの感動によって突き動かされるものがあるはずです。そうするならば、鋭いみことばの剣によって神に喜ばれる部分とそうでない部分をはっきりと切り分けることが出来ます。

それはまるでペンテコステの後、ペテロが語ったメッセージを聞いた人たちに起きたような出来事から見ることが出来ます。

「人々はこれを聞いて心を刺され、 ペテロとほかの使徒たちに、 「兄弟たち。 私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。」(使徒2:37)

文字として書かれたみことばに聖霊様の息がかかるとき、それが生きたものとなって私たちのレーブとキルヤーに働きかけ、悔い改めが生じます。上のみことばの「心が刺される」とは、「内臓をのこぎりで引かれるような激しい悔い改めの心」と言うことを聞いたことがあります。

悔い改めが生じたならば、そこにイエス様の血潮を宣言します。イエス様の血潮はすべての罪から私をきよめます。
日々みことばによって悔い改め、血潮を宣言して心と思いを主に試していただきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しゅん 】

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