■S:今日の聖書の言葉
民数記24章全体

■O:今日のコラム
バラムが主の御心はイスラエルを祝福する事であるのを悟ったとき、まじないを離れました。そして霊的な目が開かれました。バラムは霊的な目が開かれて何を見たのでしょう?それはイスラエルの部族ごとの宿営の様子でした。
民数記2章を見るとその宿営の形は、神の幕屋を中心として、十字架の形に配置されていました。つまり彼は十字架を見上げたのです。そのときに御霊がバラムに臨み預言しました。その中で7〜8節はこうです。

『その手おけからは水があふれ、その種は豊かな水に潤う。その王はアガグよりも高くなり、その王国はあがめられる。彼をエジプトから連れ出した神は、彼にとっては野牛の角のようだ。彼はおのれの敵の国々を食い尽くし、彼らの骨を砕き、彼らの矢を粉々にする。』
(民数記24:7〜8)

この預言は、申命記のヨセフ族に対する預言です。

『ヨセフについて言った。「主の祝福が、彼の地にあるように。天の賜物の露、下に横たわる大いなる水の賜物、
彼の牛の初子には威厳があり、その角は野牛の角。これをもって地の果て果てまで、国々の民をことごとく突き倒して行く。このような者がエフライムに幾万、このような者がマナセに幾千もいる。』
(申命記33:13、17)

また続く9節はこうです。

『雄獅子のように、また雌獅子のように、  彼はうずくまり、身を横たえる。  だれがこれを起こすことができよう。  あなたを祝福する者は祝福され、  あなたをのろう者はのろわれる。』
(民数記24:9)

これは創世記の中でヤコブがユダを祝福した預言です。

『ユダは獅子の子。  わが子よ。あなたは獲物によって成長する。  雄獅子のように、また雌獅子のように、  彼はうずくまり、身を伏せる。  だれがこれを起こすことができようか。』
(創世記49:9)

ヨセフに対する預言とは、長子に対する祝福です。イスラエル(ヤコブ)の長子の権利はルベンからヨセフに渡されました。長子の権利は系図にはよらないのです。そして、ユダに対する預言は王権に対する祝福です。王権はユダを離れないのです。
つまりこれは、長子の権利と王権が回復する預言です!それは、イエス様が来られる事でなされましたが、私たちにとっては再臨に向けての預言でもあります。長子の権利と王権が一つになる事は、エフライム(ヨセフ族、厳密にはエフライムが長子の権利をとったと言えます。散らされて世界中に混ざり合った異邦人)とユダ(肉にあるイスラエル民族)が一つになる事であり、エゼキエル37章にあるエフライムの杖とユダの杖が一つになるという終末に対する預言の成就なのです。
これが約束の地に入る前、エリコを目前になされるのです。エリコとは約束の地に入る直前の最後の強力な要塞、障壁です。これが破壊されるときには、十字架が見上げられなければなりません、だからこそ、十字架の勝利を宣言する血潮の宣言がいまこそ重要なのです。

■A:考えてみよう
最後のエリコの城壁を破壊し、約束のものを得るために、血潮の宣言をする。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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