■S:今日の聖書の言葉
民数記7章9節(民数記8章)
★しかしケハテ族には何も与えなかった。彼らの聖なるものにかかわる奉仕は、肩に負わなければならないからである。
■O:今日のコラム
民数記7章には、幕屋の移動方法について書かれています。
「彼らはささげ物を主の前に持って来た。それはおおいのある車六両と雄牛十二頭で、族長ふたりにつき車一両、ひとりにつき牛一頭であった。彼らはこれを幕屋の前に連れて来た。(民数記7章3節)」
とあるように、イスラエル人たちは幕屋の移動時にはそれを分解し、部品をそれぞれ車と牛でで運搬することが命じられていました。
その中で、ゲルション人には二台の車と四頭の牛が、メラリ族には、四台の車と八頭の牛が与えられました。しかし、ケハテ族には何も与えられませんでした。
それは、なぜだったのでしょうか。ゲルション族は、幕屋の幕などの繊維品類を、メラリ族には幕を支える板などの木造部分を運ぶ任務を言い渡されていた一方で、彼らケハテ族の任務は、聖所にある道具を運ぶことだったのです。
聖所の道具は、契約の箱や香壇などで肩に担いで運ぶものだったから、ケハテ族には運搬道具としての車も牛も必要がなかったのです。
運搬道具が必要であったゲルション族とメラリ族には、それぞれ運ぶものの大きさや量に応じた車と牛が与えられ、必要がなかったケハテ族には何も運搬道具は与えられませんでした。
この箇所を読むとき、主は備え主であることを覚えます。必要なものを必要なときに、必要なだけ備えてくださる主、逆に必要でないものは備えない主。
誰よりにも私たちそれぞれの必要をご存じである主、私たちが何が必要かわからないときにも備えをしてくださっている主。
ときには、願っても与えられないこともあるかもしれませんが、それも主の備えであることを感謝します。なぜなら、主は与えないということを通しても私たちの人生に介入してくださるからと信じます。そのことゆえに益々主に素直に願い祈り求めることもできることを、心から感謝します。
■A:考えてみよう
備え主である主に感謝し、この箴言のみことばが心からの祈りになることを祈ります。
箴言30章7〜9節「二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。」
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 れな 】
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