■S:今日の聖書の言葉
民数記9〜10章全体

■O:今日のコラム

いつでも神の民は、神の臨在がその中心である。宿営しているときには、宿営が十字架の形になりますが、その中心に、移動のときにも、その中心に契約の箱があります。
移動のタイミングも主が示されます。
たとえ、宿営したばかりであって「もっとゆっくりしたい」と思う者があっても、1年以上経って「まだ出発しないのか?」と思う者があっても、神のタイミングに合わせなければならなりません。
そして、目的地も「最短距離はこっちだ」と考える者があっても主に任せなければなりません。
そして、その宿営地に着いたなら、契約の箱をお待たせすることがないように、移動の配置がなされています。
どこまでも神が中心なのです。
いつも、私たち神の民の真ん中に神の幕屋がありますように。
そして、主は、神の民を荒野で養い、守り、憩いを与えてくださるのです。

『こうして、彼らは主の山を出て、三日の道のりを進んだ。主の契約の箱は三日の道のりの間、彼らの先頭に立って進み、彼らの休息の場所を捜した。』(民数記10:33)

主は神の民を荒野を通って、約束の相続へと導くために羊飼いとなって、緑の牧場と憩いの水のほとりに導いてくださるのです。
この宿営地は42箇所あるのですが、それは、アブラハムから数えての42世代後に教会が誕生するまでと同じです。
1箇所1箇所は無駄なものではなく、約束のものに到達するために必要なステップなのです。
それをつぶやかずに旅を続けることは、とても重要です。
約束の地だけを相続として与えられるレビ人は、キリストの花嫁の型です。
とは言っても新約においては、皆が教会にフルタイムで仕える事ではなく、フルタイムで生ける神の宮(内におられる御霊)に仕える者であるならレビ人です。
その者は、ゲルション(流浪の民、エグザイル)、ケハテ(集会)、メラリ(苦味)という名で示されるように、自分たちが荒野を旅し、苦味を味わいながら集う流浪の民である事を悟っている者でもあります。
一つ一つの宿営地は、神の民が約束の相続であるイエス様に到達するまで、ラッパの音(預言)によって一致して、戦い、前進しなければなりません。

■A:考えてみよう
神を中心として、一致して前進する花嫁となりましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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