■S:今日の聖書の言葉
レビ19:17-18

★「心の中であなたの身内の者を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろに戒めなければならない。そうすれば、彼のために罪を負うことはない。 復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。」

■O:今日のコラム
このレビ記の御言葉は福音書でイエス様が大事な命令と話された元となる箇所です。
ここに書いてある隣人をねんごろに戒めるとはどのような意味でしょうか?
ねんごろとは心がこもっている、親密な状態の意味を表す言葉です。
直訳するとあなたの隣人を心を込めて戒めなさい。ということになります。
これは隣人を愛を持って戒め、叱責し、訓戒するということです。

「わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。
父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。 」
(箴言3:11-12)

ここにあるように私たちの天のお父さんは私たちを愛するがゆえ懲らしめ戒められます。
同じように私たちは隣人を愛するときに父の心を持って戒めていく必要があります。
また次のような御言葉があります。

「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。 」
(マタイ7:12)

これがイエス様が私たちに教えてくださった隣人を愛するということです。
では具体的に隣人を父の心を持って愛するとはどうしたら良いのでしょうか?

「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。 」
(ヨハネ13:14)

イエス様が自分が父のみもとに行く時を知った時、その愛を残すところなく示されました。
その愛の行為が上の御言葉にある通り互いに足を洗い合うということです。
足は私たちの歩みを表しています。 私たちは信仰の道を歩いている時に様々なちりがつきます。
このちりはサタンの食べ物となり(創世記3:15)私たちの足に噛みつき私たちの道を主の御心の道から遠ざけようとします。 
ですから私たちは隣人を父の心を持って愛し、主をもっと知るためにちりを洗い落とし合うことをしていきましょう。
隣人が解放されること、自由になること、罪から清められ新しくされることを願い求めていきましょう。
私たちのちり、罪を互いに言い表しお互いのために祈り、ますます主に近寄せられていきましょう。

「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。」
(ヤコブ5:15)

■A:考えてみよう
誰かを戒めるときに主からの愛を持って父の心を持って戒めていただろうか。
人を愛すると言いつつも自分が嫌われることを恐れ、人を戒めることをおろそかにはしてはいないだろうか。
人からのちりを取り除くためにはまず自分の目から梁を取り除ける必要があります。
イエス様の十字架の血潮によって私たちの目を清めていただきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 れい 】

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