■S:今日の聖書の言葉
レビ記21章18〜20節(使徒の働き21章)

★だれでも、身に欠陥のある者は近づいてはならない。目の見えない者、足のなえた者、あるいは手足が短すぎたり、長すぎたりしている者、
あるいは足や手の折れた者、
くる病、肺病でやせた者、目に星のある者、湿疹のある者、かさぶたのある者や、こうがんのつぶれた者などである。


■O:今日のコラム

この欠陥があるという語は(へ)ムームです。
これは汚れ、しみ、傷という意味の言葉。
この様な者は、主の御側に近づくことが許されません。
いけにえにこの様なものがあれば、捧げることができません。
人は生きたきよい備えものとして捧げる事が求められているが、それは血潮のきよめなしにはありえません。
私たちはキリストの血によってのみ大胆にまことの聖所に入っていく事が出来るのです。
手足が長すぎたり、短かったり、痩せこけていたりとバランスのおかしい者も同様です。
私たちは、傷やしみやその様なものの何一つない花嫁として引き寄せられますが、様々な点でバランスを修正されて捧げられる必要があります。
聖所に入る前の洗盤がその領域に当たるでしょう。
そこで祭司はきよめられて聖所に入っていくのです。
青銅の洗盤は、女たちの鏡によって作られていて、水を張った洗盤を上から覗き込む祭司は、天からの視点で見た自分を見ることになるのです。
つまりアイデンティティーの回復です。
だから、これからシャローム教会で出版される血潮による回復の宣言の本は、とてもそのために重要です。
同時にアイデンティティーがまず回復する事が重要ですが、真の回復は主の臨在に触れるとき、つまり恵みの御座に近づくときになされるのです。
そこまで進むことは私たちを本来あるべき姿へと真に回復していきます。
放蕩息子は、ご飯のことで悔い改めましたが、真の悔い改め、真実な回復は御父にハグされたときに起こったのです。
また、足のなえた者に関して多くの啓示があります。
足なえの回復こそアイデンティティーの回復という意味で中心にあります。
ダビデがエルサレムを陥落させるときに出来事以来、足のなえたものは神殿に入ることが許されないなど特別な疎外の中にありました。
しかし、イエス様はそれを癒すものとしてこられ、メシヤである事を明らかにされましたが。
足のなえたものの代表は、メフィボシェテです。
彼は死んだ犬と自分を表現するほどにアイデンティティーが低かったのです。
元は王子であったのに。
つまりこれは、霊的に私たちの姿なのです。
元々、神の王子として作られたのに、私たちのアイデンティティーは正しくありません。
新約でもこうあります。

また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。
(ヘブル12:13)

まっすぐな道は、イザヤ書で見るとアイデンティティーの回復です。
高ぶりが低く、自己卑下は盛り上げ、シオンへの大路が築かれることです。

■A:考えてみよう
血潮の宣言でアイデンティティーを回復し、父の御側に進む。
そこで、真の悔い改めに至って、権威、力、富、あらゆるものを回復されていく。

また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」
(マタイ21:44)

この御言葉は二段階に砕かれる私たちの姿です。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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